2010年5月12日水曜日

革命家マルクスのフォイエルバッハ最終テーゼ

この論文は、『情況 2009年6月号』に掲載されました。論文の内容は、フォイエルバッハは西洋哲学の原-脱構築を開始したおそらく最初の人間であり、その哲学的他者論を批判的に継承することによって、マルクスは革命家になり、その独自の社会理論を展開した―そのように考えることで、初めて彼の「フォイエルバッハにかんするテーゼ」は充分に理解出来る、というものです。ただし、内容的に極度に圧縮されているため、読みづらいかと思います。そのうち再編集してアップできればと考えています。

 

革命家マルクスのフォイエルバッハ最終テーゼ

―脱構築と共産主義―

 

革命家マルクス

 

哲学者たちは世界をただ様々に解釈してきただけである。肝心なのはそれを変えることである。

1845年、フォイエルバッハにかんする第十一テーゼにおいて、カール・マルクスは、哲学の元を去り、革命家として生きることを宣言した。じじつ、マルクスは終生、革命家として生を全うした。

だが、マルクス研究者の多くは、マルクスを「ただ様々に」「解釈者」として解釈しただけであった。すなわち、彼はフォイエルバッハなどの既存の哲学を否定したが、それは新たな哲学あるいは科学の創設であって、それは最高到達地点たる『資本論』の体系に結晶化されたのだ、と。その反面、「テーゼ」における革命的精神は、『資本論』の背後において抑圧されてきたのである。

たしかに、『資本論』をコンスタティブに読むならば、そこに革命家としての精神の痕跡を見いだすのは困難である。たとえば序文に目を通してみよう。

資本家や土地所有者の姿を私はけっしてばら色の光のなかに描いてはいない。しかし、ここで人が問題にされるのは、ただ、人が経済的諸範躊の人格化であり、一定の階級関係や利害関係の担い手であるかぎりでのことである。経済的社会構成の発展を一つの自然史的過程と考えるほかのどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとすることはできない。というのは、彼が主観的にはどんなに諸関係を超越していようとも、社会的には個人はやはり諸関係の所産なのだからである。[1]

ここに表明された理論家としての態度が、「テーゼ」の革命的精神と一致している、と考えることは困難であろう。しかし『資本論』を一歩離れ、その当時のマルクスの書簡を読むならば、彼にとってこの理論的テクストの出版もまた、革命的実践を意図したものであったことが、目に浮かぶように見えてくる。たとえば、ある書簡で、彼は次のようにしたためている。

第一巻は第一冊『資本の生産過程』を含んでいる。それはたしかにブルジョア(土地所有者を含めて)の頭にぶつけられた最も怖ろしいつぶてです。今や諸君が印刷物で、すなわち、諸君の自由になる新聞雑誌で、近く刊行されることに注意を促してくれることが重要だ。[2]

もう一つだけ、印象的なエピソードを紹介しよう。『資本論』の出版直後、エンゲルスはマルクス宛の書簡で、「事態をはやく運ばせるために」、エンゲルス自身が「ブルジョア的立場から本の攻撃」を行うことを提案している。マルクス自身は、それに対して次のように返答している。

本をブルジョア的立場から攻撃するという君の計画は、最良の戦闘手段だ。だが僕は──そいつができしだい──マイスネルよりもジーベルかリッテルスハウスの手でやらせた方がよいと思う。最良の本屋にでもあまり奥まで手の内を見せてはならないのだ。[3]

この書簡の往復は、マルクスがテクスト出版において、革命のために戦略的に振る舞っていたことを示している。だが実際には、革命戦術は隠微に行わなければならないというマルクスの意志により、エンゲルス自身による『資本論』批判が実行されることはなかった。

歴史に「もしも」はない、と人は言う。しかし、私は想像することを禁じえない。もしも、エンゲルスによる『資本論』批判が後生の私たちの手元に残り、その背景となる書簡が発見されなかったとしたら、マルクス解釈史にどれほどの混乱を巻き起こしたことだろうか、と。

だがそうだとすると、現在私たちの手元に届いている『資本論』にさえ、同じ事が言える可能性はないだろうか。マルクスが革命的・実践的に振る舞っていたことが疑いないとするならば、その者の書くテクストのコンスタティブな非革命性は、―まさにその革命性ゆえに―周到にテクストの表面から革命的精神の痕跡を抹消しようとした結果と考えなければ、一貫して理解しえないのではないか。いずれにせよ、当時の検閲制度においては、これが唯一の実践可能な選択肢であったことは確かなのだ。

ともあれ、こうした実践的文脈を、研究者たちは、まったく考慮せずに済ませてきた。だが、テクストは、行ったことを言葉通りに受け止めるのではなく、実践的行為として読まれなければならない―そう論じたのは、『ドイツ・イデオロギー』のマルクスではなかっただろうか[4]

私たちは、マルクスをマルクス的に読み直さなければならない。ただしそれは、「フォイエルバッハにかんするテーゼ」における、革命家としてのマルクスである。

だが「テーゼ」はマルクス自身のための、短い覚え書きにしかすぎない。その内的な構造を余すことなく理解するために、まず私たちは、マルクスに絶大な影響を与えたフォイエルバッハの『将来の哲学の根本命題』を、もう一度読みなおす必要がある。

 

フォイエルバッハによる西洋哲学の脱構築

 

フォイエルバッハは、『将来の哲学の根本概念』において西欧哲学総体を転倒する必然性を説いた。以下、完結に要約する。

西洋における神学から思弁哲学への発展は、論理必然的なものである。なぜなら神の無限性を一個の客体として表象する、という矛盾を神学は侵しているからである。有神論は、神を―すなわち外部を必要としない絶対的知性を―人格的存在者として、すなわち感性的存在として想像している。ところが、それ自身においてある対象とわれわれにとっての現象の区別立てが、感性を基礎づけている。なぜなら、感性とは、絶対的な外部への依存だからである。しかるに、神においては、人間にとっての対象と、神それ自身との根源的な区別が存在しないため、神は感性的な存在者ではありえない。神は、人間の―感性を抹消した―思惟の産物であり、そこに現れているのは、人間の思惟の本質なのである。それゆえ、思惟の対象と思惟を同一視するヘーゲルの観念論的汎神論は、神学の―そして西洋哲学の―徹底化であり、完成形態なのである[5]

ヘーゲル哲学において、抽象的な理念はそれ自体では、単に思惟の境位にあるにすぎず、現実化されることによって真実となる。だがそれは、単なる思想は、感性が付け加えられることによって、初めて真理となることを意味している。だが、そもそも「思想に対して自分を実現し自分を感性化するという要求が行われるのは、もっぱら、無意識的に思想に対して実在性および感性が思想からは独立に真理として前提されているからである」。それにもかかわらず、「意識的には思想の真理性が出発点にされるから、感性の真理性が後から初めて言表され、感性が単に理念の属性にされるにすぎないのである」[6]。この感性の矛盾―すなわち本来は理念が無意識的に依存している感性を、後から意識的に従属させるという矛盾―が解消されるためには、感性それ自体に第一次的な意義が認められなければならない。

だが、理念への従属から解放された感性は、従来の感性概念とは根本的に異なる。思弁哲学における感性の対象としての存在概念は、あらかじめ単なる対象として思惟へと適合させられている。だが、それ自体としての、現実的な感性の対象は、「語られることができないもの」[7]であり、それはもう一つの主観性としての他者である。。

従来の哲学では、客体はすべて思惟へと従属させられており、それゆえ他者を顧慮し、承認することができなかった。新しい哲学は、感性の真理性、そして感性によって開かれる外部性としての他者を承認するところからはじまるのである。

以上が、『将来の哲学の根本命題』の、再構成された要約である。フォイエルバッハにとって、この論文は、あくまで将来の哲学のための批判的基礎をつくるためのものであった。そしてまた、これら根本命題の「諸帰結は起こらないことがないであろう」[8]、と序文で予言している。

ここで私が思い至るのは、ジャック・デリダの仕事である。なぜなら、初期デリダの代表作のいくつか―『声と現象』や『グラマトロジーについて』―における、西洋形而上学における音声=言語中心主義脱構築は、次のように一般化されうるからである。すなわち、西洋形而上学の二項対立―パロール/エクリチュールなど―は、前者に後者が従属する位階秩序として提示されている。そして、西洋形而上学の企ては、すべてを前者へと回収しつくすことである。だが、前者は、後者を抑圧しながらも、後者によってある根源的な仕方で汚染されている。それをデリダは論理的に示すことによって、自己への絶対的現前という西洋形而上学の企てが不可能であることを示す。それと同時に、前者への抑圧から解放された後者の概念―たとえば一般化されたエクリチュール概念―によって、現前の彼方に関する思惟を開始するのである。

このように脱構築を一般化するならば、フォイエルバッハのヘーゲル批判が、単純な意味でのヘーゲルの転倒などではなく、文字通りの意味において西洋形而上学の「脱構築」であったことは理解できよう。フォイエルバッハは、西洋哲学の完成形態たるヘーゲル哲学の中枢部分において、無意識的に外部性を要請しながら抑圧していることを明らかにした。そうすることで彼は、絶対的な真理に到達しようとする西洋哲学の企ての不可能性と、他者の哲学の必然性を、内在的に示したのである。

フォイエルバッハからマルクスへ―知のリミットと主体の転回―

アルチュセールは、次のように主張した。マルクスは西洋形而上学の写鏡的認識論を打破し、認識の対象と実在の対象とを厳密に区別することによって、絶大な科学革命を成し遂げたのだと[9]。だが、この「絶大な科学革命」は、実際にはフォイエルバッハによって開始されたことを、私たちは見てきた。だとすれば、通説とは異なるが、マルクスはこのフォイエルバッハ哲学の本質的な部分を継承したのではないだろうか。

その点を確かめるため、アルチュセールが最重要視した『経済学批判序説』の当該箇所から、私たちはマルクスを読み進めて行くことにしよう。

意識にとっては──そして哲学的意識は、概念する思惟が現実の人間であり、したがって概念された世界がそのものとしてはじめて現実の世界である、というように規定されている──、諸範疇の運動が現実の生産行為──遺憾ながらそれは外部から刺激だけは受ける──として現れ、この生産行為の結果が世界なのである。そしてこのことは──しかしこれもまた同義反復ではあるが──、思惟総体としての具体的な総体が、一つの思惟具体物として、実に思惟の、概念行為の産物であるかぎりでは、正しいのである。[10]

この文章は、古典経済学およびヘーゲル哲学に言及する文脈で提示されている。この文章をごく表面的に読めば、「諸範疇の運動が現実の生産行為であり世界である、というのは正しい」と、ヘーゲル的に解釈されかねない[11]

だが私たちは、「意識にとっては・・・として現れ」「であるかぎりでは正しい」などという言葉で、マルクスが幾重にも予防線を張り巡らしていることを見逃すわけにはいかない。そして何よりも、意識の外部に言及していることを、見落とすわけにはいかない。マルクスがここで論じたいことはむしろ、哲学的意識がその外部を知らない限りにおいて、世界は概念行為の産物として現象せざるをえない、という、独我論的な同語反復である。このように言うときマルクスが、ヘーゲル哲学に対するフォイエルバッハの脱構築を全面的に継承していることは明らかである。

そしてこの外部性の思惟こそが、ヘーゲル(および古典経済学)とマルクスを分かつ分水嶺なのである。事実、マルクスはその直後に次のように述べている。

頭脳のなかで思惟全体としてあらわれる全体は、思惟する頭脳の産物であり、この頭脳は自分にだけ可能な仕方で世界をわがものにするが、その仕方は、この世界を芸術的に、宗教的に、実践的=精神的にわがものとするのとは異なった一つの仕方である。実在的な主体は、依然として頭脳の外部でその独立性をたもって存続する。すなわち、頭脳がただ思弁的にだけ、ただ理論的にだけふるまうかぎりでは。だから、理論的方法にあってもまた主体が、社会が、前提としてつねに表象に思いうかべられていなければならない。[12]

この極端に凝縮された文章のすべてを論じることはできない。ここでは、実在的な主体(他者および社会)が、頭脳の外部に存在すること、そして、その外部性をたえず表象し、自覚しなければならないことが読み取れれば十分だろう。

しかしそうだとすると、マルクスとフォイエルバッハは、哲学的にはまったく同じ立場を採用していた、ということになりはしないだろうか。

だが、上の引用を子細に検討するならば、マルクスが、このテクストに、奇妙な、しかし決定的な開口部をしるしづけていることに気づかざるをえない。

「頭脳がただ思弁的にだけ、ただ理論的にだけふるまうかぎりでは」。このセンテンスは、「理論的にふるまわない場合」における何かをほのめかしている。そしてこの「序説」には、その指し示す先は存在しない。マルクスは、この宛先のない奇妙な言及において、いったい何を示唆しようとしていたのだろうか。

おそらく私たちは、ここにつづけて、フォイエルバッハに関する第十一テーゼを読むべきなのだ。つまり、「実在的な主体は、依然として頭脳の外部でその独立性をたもって存続する。すなわち、頭脳がただ思弁的にだけ、ただ理論的にだけふるまうかぎりでは。哲学者たちは世界をただ様々に解釈してきただけである。肝心なのはそれを変えることである。」と。

じっさい私たちは、このような接続を通してはじめて、『ドイツ・イデオロギー』におけるフォイエルバッハに対する評価と批判を、あますことなく理解できるようになる。

人間どうしの関係にかんするフォイエルバッハの推論のことごとくは結局、人間たちはお互いを必要とするし、またいつも必要としてきたことの証明に尽きる。彼はこの事実についての意識を確立しようとし、したがって爾余の理論家たちのように、或る現存の事実にかんする或る正しい意識を生みだそうとするだけなのであるが、ほんとうの共産主義者にとっては、この現状なるものをくつがえすことが肝腎の仕事なのである。それにしてもわれわれはフォイエルバッハがまさにこの事実の意識をつくりだそうと努めることによって、理論家たるものが理論家、哲学者であることをやめることなしにおよそ行きうるぎりぎりのところまで行っていることを全幅的に認める。[13]

すなわち、人間たちが互いに必要としてきたという事実を、マルクスはフォイエルバッハとともに全面的に認める。その意識は、すでに見たように、まさにフォイエルバッハによる西洋哲学の脱構築を通じて可能となる。だが、フォイエルバッハは、外部性・他者性に関する事実に対する正しい認識をつくり出そうとしただけであった、とマルクスは批判しているのだ。

言い換えれば、他者たちは、認識の対象ではなく、変革の、行為の対象である。だがそれは、具体的にはいかなることがらを意味しているのだろうか。

たとえば、写真家である私が、その惨状をフィルムに記録しようと、戦場に出かけたことを想像してもらいたい。そこで私が出会ったのは、たまたま、地雷で片足を吹き飛ばされ、苦痛に泣き叫ぶ少年であった。私は、彼の苦痛をより深く理解し、あるいはその苦痛を共有しようという気高い感情にとらわれ、夢中でシャッターを切り続ける。だがレンズ越しに、少年の哀願に満ちたまなざしを捉えたとき、私はふと我にかえるのだ。いまこのファインダーに映っている「戦場の悲惨を体現している少年」のその彼方に、そこに実際に苦しんでいる誰かがいるということを。そのことに気がついたとき、私は傍観者である自らの罪の重さにも覚醒する。私が彼らをただ理解しようとしたり、共感しようとしたりすること、それ自体が、実際に助けを求めつづけている少年を見捨て、自らの責任で死へと追いやる行為なのである、という事実に。私はカメラを打ち棄て、少年の元に駆けつける。そして私は、二度とカメラを手に取ることはできないだろう。

フォイエルバッハは初めて他者を哲学的に見いだした。だが、それを再び「観照の対象」へとおとしめてしまったのだ。だからマルクスは第2テーゼで次のように述べたのだ。

人間的思惟に対象的真理がとどくかどうかの問題はなんら観想の問題などではなくて、一つの実践的な問題である。

マルクスは、いわば写真家として振る舞うフォイエルバッハに、カメラを捨てて彼らを助けることを求めた。それが、他者を初めて見いだしたものの責務なのだと。フォイエルバッハに対する批判のマルクスの激越な調子は、おそらくはここに由来する[14]

 

マルクスの社会システム論

 

マルクスは、フォイエルバッハとともに、ヘーゲル哲学の―それゆえ西欧哲学総体の―原-脱構築をくぐりぬけ、哲学そのもののリミットに到達した。両者の差異は、外部性としての他者を観照の対象とするか、あるいは行為の対象とするかの、実践的な態度の違いである、と要約できる。だがそうだとすれば、両者は理論的には同一ということにならないだろうか。

たしかに、マルクスはフォイエルバッハの「新しい哲学」における批判精神の神髄を継承している。そればかりでなく、また、その哲学の本質的な内容を否定したことはなかった[15]。だがフォイエルバッハは観照者として、哲学の―そして認識の―境界線の内側から、その外部を眺めただけであった。だが、マルクスは、哲学者であることを辞め、境界線の外側に足を踏み出したのである[16]

そのとき、初めて、前人未踏かつ広大無辺の平野が、カール・マルクスの目の前に開けたのだ。そのいわば旅行記が、彼の社会理論である。私たちは、「テーゼ」のマルクスが残した足跡をたどり、再びこの荒野に歩みいることにしよう。

第一テーゼの冒頭に、彼は次のように書いている。

これまでのあらゆる唯物論(フォイエルバッハのをもふくめて)の主要欠陥は対象、現実、感性がただ客体の、または観照の形式のもとでのみとらえられて、感性的人問的な活動、実践として、主体的にとらえられないことである。

このテーゼの意味は、もはや私たちには理解できよう。マルクスが言う感性的活動 die sinnliche Tätigkeitとは、みずからの他者への行為の地平である。それは、マルクス自身による献身への、後戻りできないメタモルフォーゼを通過して、初めて見いだされたのだ。だから彼は、第一テーゼの最後に、フォイエルバッハは「『革命的な』活動、『実践的に批判的な』活動の意義を理解しない」、と批判しているのである。これ以上は紙幅を割けないが、この感性的活動という論点から、環境と教育の変化に関する唯物論的教説を批判する第三テーゼ、あるいは第五テーゼなども容易に把握できる。

だが、第六テーゼ「人間性は・・・その現実性においてはそれは社会的諸関係の総体である」、という有名なテーゼは、どのように理解すればよいだろうか。マルクスにおける社会的諸関係という概念、そしてさらに社会概念の意味するところを十全に汲み取るために、私たちは『ドイツ・イデオロギー』に立ち戻らなければならない。

フォイエルバッハはことに自然科学の見方をうんぬんし、物理学者と化学者の目にしかあらわにならない秘密に言及するが、しかし産業と交易がなかったとすれば、自然科学はどこに存在するであろうか? この「純粋な」自然科学ですらじつにその目的をも材料をも交易と産業をつうじてこそ、人間の感性的活動をつうじてこそ、はじめて受け取るのである。それほどにこの活動、この間断なくおこなわれつづけている感性的な労働と創造、この生産は現にいま存在するごとき全感性的世界の基礎なのであるから、もしもかりにそれがたった一年間でも中断されたとすれば、フォイエルバッハはたんに自然界のうちにとてつもない変化が生じるのを見るのみならず、また人間世界の全体と彼自身のものを見る力、いやそれどころか彼自身の存在すらもがたちどころに消えてなくなるのに気づくにちがいない。[17]

この箇所は、ごく表層的に読めば、個人が経済によって構成されている、と読めてしまう。だが、このように読むならば、マルクスの社会理論の本質を完全に取り逃がしてしまうことになる。

私たちがまず確認するべきこと、それはある個人の感性的世界が―また人間の存在自体が―全面的に外部に依存している、というフォイエルバッハの感性論全体がまず端的に前提とされている、ということである。その上で、感性が依存している外部性のさらにその手前に、他者による感性的活動・創造行為が存在し、感性的世界が他者によって全面的に与えられつづけている、ということにフォイエルバッハは気づいていない、とマルクスは批判しているのだ。別の箇所で「たとい感性が聖ブルーノにおけるように一本の杖に、最小限度に還元されている場合でも、その感性はこの杖の生産の活動を前提する」[18]と論じているときも、まさに彼は同じ事を言わんとしている。

このときマルクスは、ここで単なる実在論の立場に立って、周囲の実在物が他の人間によって作られたものである、というありきたりの常識―むろんそれ自体は間違っていないが―を述べているわけではない。そうではなく、感性的存在者はそれを支える主観性と不可分であり、それがある根源的に内的な仕方において、他の主観性による感性的活動によって絶え間なく与えられつづけている、ということを論じているのだ。それが、マルクスのいう「関係」概念の意味であり、それゆえ関係は必然的に個人間の生産関係なのである。[19]

このような地平に立つとき、世界はまったく違った様相をもって立ち現れることになる。すなわち、あらゆる感性的存在者すべて、たとえば私が読んでいる本やコップといったものは他者の感性的活動の―それゆえ他者の生命の―痕跡であり、それらの総体が私の感性的世界を―そしてそれらを現象させる私の主観性を―構成しつづけている。そして、私もまた、その生活過程において、気づくことなく見知らぬ誰かの感性的世界を与え、誰かの生の一部に組み込まれている。

諸個人から諸個人へと流れていくこの生産関係の、壮大かつ複雑な動的ネットワークにおいて、感性的に享受し活動する諸個人が一つの結節点を構成している。人間性とは「社会的諸関係の総体である」という第六テーゼは、そのような意味において理解されなければならないのだ。そうでなければ―すなわち「共同主観的被既定性」などと解釈すれば―、『要綱』における下記の論述は、決して理解できない。

もしわれわれがブルジョア社会を全体として観察するならば、社会的生産過程の最後の結果として常に社会それ自身、すなわちその社会的諸関連における人間それ自身が現れる。生産物等のような、固定した形態をもついっさいのものは、この運動の契機として、消過的な契機としてだけ現れる。直接的生産過程それ自身がここでは契機としてだけ現れる。過程の諸条件と諸対象化は、それ自体一様に過程の諸契機であって、この過程の諸主体としては諸個人だけが、ただし相互に関係しあう諸個人だけが現れ、そして彼らはこうした諸関係を再生産し、また新たに生産する。諸個人自身の不断の運動過程、この過程のなかで彼らは自己を更新するとともに、また彼らの創造する富の世界を更新する。[20]

この引用は、『要綱』においてマルクスがその社会理論の全体構想を記した、特権的な箇所である。ここでは、人間の社会的諸関連が、諸個人間の生産過程として論じられている。そしてその関連のなかで諸個人は、自らを生産するとともに、この社会関係をも再生産する。マルクスは、テーゼで見いだした感性的活動概念を基礎に、自らを再生産するオートポイエティックなシステムとして、社会システムを構想したのである[21]

 

そして共産主義革命へ

 

以上みてきたマルクスの「関係」概念、そして「社会」概念は、フォイエルバッハの他者論と矛盾するものではなく、むしろその極限的な急進化であったと言える。事実、フォイエルバッハにおいて関係とは、感性を通じた外部への依存性であり、その論点はマルクスにも全面的に継承されている。だが、マルクスによる大幅な拡張を通じて、私たちの感性的世界、私たちの他者への行為、そして思考や認識などがすべて、この社会的生産関係の網の目の中に位置づけられることになる。ここから次の第四テーゼが導き出されることになる。

フォイエルバッハは宗教的自己疎外、すなわち宗教的世界と世俗的世界への世界の二重化、の事実から出発する。彼の仕事は宗教的世界をそれの世俗的基礎へ解消するところにある。しかし世俗的基礎がそれ自身から離脱して、雲のなかに一つの自立的な王国を自身のためにしつらえるということは、ただこの世俗的基礎の自己滅裂状態と自己矛盾からのみ明らかにされるべきである。

すなわち、ヘーゲル哲学の―また西洋哲学の総体の―幻想を論理的に暴露した後、そのような幻想もまた、社会的諸関係の中の一つの言語行為として、理解されなければならないのだ。第七テーゼは、ここでいう「社会」という概念を掘り下げなければ、単なる経済決定論ないし社会構築主義として誤解を招きかねないが、そのような脱構築的な言語行為論の文脈で理解されなければならない。

それゆえフォイエルバッハは、「宗教的心情」そのものが一つの社会的産物であること、そして彼が分析する抽象的個人が或る特定の社会形態に属することを見ない。

ここで再び私が念頭においているのは、デリダのオースティン論「署名 出来事 コンテクスト」である。

諸々の形而上学的概念の二項対立(たとえば、パロール/ エクリチュール、現前/ 不在、等々)とは、決して差し向かいにある二つの項のことではなく、一つのヒエラルキーであり、一つの従属関係の秩序である。脱構築は、中立化に自らを限定したり、中立化へすぐさま移行したりすることはできない。脱構築は、二重の身ぶり、二重の学、二重のエクリチュールによって、古典的二項対立の転倒と体系の一般的転位との両方を実践しなければならないのである。[22]

この論述は意図せずして、フォイエルバッハとマルクスの関係を見事にあらわしている。フォイエルバッハは、ヘーゲル哲学における理念/感性の二項対立を転倒し、外部への―他者への―開けを見いだした。マルクスは、その他者との関係性を徹底化して、ヘーゲル哲学が―あるいは諸々のドイツ・イデオロギーが―その中で位置づけを持つ、一つの社会理論へと転位させたのだ。じっさい、デリダ自身、『マルクスの亡霊たち』において、「脱構築はマルクス主義の急進化の試み」であると述べている。[23]

だが、マルクスであれデリダであれ、この現前の-彼方の-社会についての知は、一つの理論にとどまりつづけることができない。ふたたび『序説』にたちもどるならば、哲学の幻想を生産しつづけている社会のあり方に関して思惟することは、「依然として頭脳の外部でその独立性をたもって存続」させたままにしておくことだ、という事実への覚醒をたえず私たちに促すからである。だから、第四テーゼの後半は次のように続くのだ。

それゆえにこの世俗的基礎そのものがそれ自体において矛盾したものとして理解されるとともにまたそれ自体において実践的に変革されねばならない。したがってたとえば地上の家族が聖なる家族の秘密としてあばかれた以上は、こんどは前者そのものが理論的かつ実践的になくされねばならない。

他者への献身―あるいは主体の裏返し―を通じて開示された、現前-の-彼方の社会にかんする前代未聞の知は、再び、主体を献身の次元へと送り返す。だがそのとき、献身は、この壮大な社会的知を媒介として、共産主義革命へと昇華されるのである。

共産主義はわれわれにとっては、つくりだされるべきなんらかの状態、現実が則るべき〔であるような〕なんらかの理想ではない。われわれが共産主義とよぶところのものは現在の状態を廃止する現実的運動のことである。[24]

そして、共産主義はこの感性的活動の次元に対する自覚的な実践となるだろう。

共産主義が従来のあらゆる運動と異なるところは、それが従来のあらゆる生産関係と交通関係の基礎をくつがえし、あらゆる自生的前提をはじめて意識的に従来の人間たちの産物として取り扱い、それらの自生性を剥いで、一体となった諸個人の力に屈せしめるところにある。[25][26]

以後、マルクスの行為は、すべてこの革命的実践の一環として理解されなければならない。

私たちがなさねばならぬ仕事は幾多ある。たとえば私たちは、マルクスのテクストを―少なくとも出版を意図した数少ないテクストに関しては―、マルクス的に―すなわちパフォーマティブなテクスト生産行為として―、立体的に解釈しなおさなければならない[27]。また、膨大なマルクス解釈史にもかかわらず、マルクスの社会理論自体、未完であり、その理論を継承的に発展させていく作業も必要となる。

だが、おそらく最も肝心なのは、フォイエルバッハにかんする最終テーゼの革命的精神を継承することである。それが、マルクスが私たちに遺した、最大の責務である。


[1] マルクス・sエンゲルス『マルクス・エンゲルス全集 第23巻 第一分冊』、大内兵衛・細川嘉六監訳、大月書店、1965年、10-11。

[2]マルクス・エンゲルス 『資本論に関する手紙』岡崎次郎訳 法政大学出版局、1967年、147

[3] ibid.175

[4] マルクス・エンゲルス『マルクス・エンゲルス全集 第三巻』、大内兵衛・細川嘉六監訳、大月書店、1965年、45-46。

[5] 有神論から汎神論へと至るこの過程は、おそらく大澤真幸のいう集権身体から抽象身体への移行とほぼ同一の機制であるかもしれない。大澤真幸『身体の比較社会学 I』、勁草書房、1990年。

[6] フォイエルバッハ『フォイエルバッハ全集 第九巻』、船山信一訳、福村出版、1974年、129-130。

[7] ibid. 120

[8] ibid. 66

[9] アルチュセール『資本論を読む』、権寧・神戸仁彦訳、合同出版、1974年。

[10] マルクス『経済学批判要綱』、大月書店、1959年、23。

[11]実際、廣松渉は、この文章の一部を恣意的に引用し―彼は「外部からの刺激だけは受ける」という箇所などを省略した―、ヘーゲル弁証法とマルクス弁証法は構造的に同じである、という驚くべき結論を導き出している。廣松渉『マルクス主義の成立過程』、至誠堂、1968年。

[12] op.cit. 23.

[13] マルクス・エンゲルス『マルクス・エンゲルス全集 第三巻』、大内兵衛・細川嘉六監訳、大月書店、1965年、38。

[14] ちなみに、知の極限において、他者に対して主体が反転するこのあり方は、おおむね後期レヴィナスの「主体の裏返しl’envers du Sujet」という概念に極めて近い。レヴィナス『存在の彼方へ』、合田正人訳、1999年。

[15] たしかに、マルクスは、テーゼにおいてフォイエルバッハにおける「類」概念を拒否している。だが、その「類」概念はフォイエルバッハの他者論とは本質的に相容れず、それゆえ後に彼自身全面的に放棄するに至っている。

[16] ちなみに、フォイエルバッハ自身も、1844年の自らへの覚え書きの中で、次のように述べている。「哲学を人類の事象にすることーそのことが私の最初の努力であった。しかしいったんこの道を切り開く者は、最後には必然的に、人間を哲学の事象にし、且つ哲学そのものを廃棄するところまで来る。なぜかといえば哲学が人類の事象になるのはもっぱら、哲学がまさに哲学であることをやめることによってであるからである。」(op.cit. 272)むろん、この論述にかんして、マルクスは当時知る由もなかったが、この一致は、マルクスとフォイエルバッハの連続性を強固に示している。

[17] マルクス・エンゲルス『マルクス・エンゲルス全集 第23巻 第一分冊』、大内兵衛・細川嘉六監訳、大月書店、1965年、40。

[18] ibid. 24.

[19] 『経済学批判序説』においてマルクスは、生産が、諸個人間の内的な消過的な関係であることを、実在論との相違に即して、極めて詳細に論じている。(マルクス『経済学批判要綱』、大月書店、1959年、13-16。

[20] マルクス『経済学批判要綱』、大月書店、1959年、661-662。

[21] この場合のオートポイエシス論は、ルーマンのものではなく、マトゥラーナのものである。マルクスの議論が、事実上社会のオートポイエシス論を志向していたことの証明については、岡田直樹「カール・マルクスのシステム論」(『社会・経済システム 第二十八号』、129-141)を参照。

[22] デリダ『有限責任会社』、高橋哲哉他訳、法政大学出版局、2002年、51。

[23] Derrida ’The Specters of Marx’, Routledge, 1994, 92.

[24] マルクス・エンゲルス『マルクス・エンゲルス全集 第三巻』、大内兵衛・細川嘉六監訳、大月書店、1965年、31-32。

[25] ibid.66.

[26] おそらく、ここにデリダとマルクスの微細ではあるが、決定的な差異が存在する。デリダは、生産関係の「意識的統制」という物言いの粗雑さに、他者の支配という「たがの外れた欲望」を見いだし、疑義を唱えるに違いない。実際、『マルクスの亡霊たち』の論点は、マルクスが憑依学hauntologyと呼ばれる外部性の思惟を創設したが、それを再び存在論ontology化してしまったのではないか、というものであった。この点に関して、私はデリダにほぼ全面的に同意する。それゆえにこそ、マルクスをデリダに―そしてレヴィナスに―接続する必要性があるのだ。

[27] たとえば、エンゲルスは、資本論出版時のマルクスあての書簡で、「価値形態論」は「たしかにブルジョア的全汚物のそれ自体」であると―マルクスも端的に同意するかのように―述べている。(ibid. 154 )。またマルクスは1868年のエンゲルス宛の書簡において、『資本論』第二巻においては、価値規定がブルジョア社会では「直接的」には妥当しないと書くつもりだ、と書いている(ibid. 188)。これらの書簡は、これまでのマルクス研究史において全く無視されてきたが、真剣に受け止められるならば、従来の『資本論』解釈を完全に転覆させうる潜在力を持っている可能性がある。

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