はじめに
12日1号機の水素爆発、14日の3号機における水素爆発、15日2号機のサプレッションチェンバー爆発。これら相次ぐ事故によって、福島第一原発から今まで放出されてきた放射性物質の大部分は15日までに放出されてきたものであるかのように東電・政府は発表しています。
ところが、もっとも重要な放射能汚染は3月21日に起きていることは、あまり一般には知られていません。その汚染源が3月20日-21日にかけての3号機格納容器内爆発であること、それを東電・政府は当然知りながら、隠蔽していること―これがほぼ「事実」であると断定できるだけの判断材料がすでに揃いました。
ちなみに、こうした結論の大部分は、実のところ、以前に私が、3/24までに出したものです。それについてはTwitterで当時連続ツイートして、その成果をTogetterにまとめました(http://togetter.com/li/115299)。ただし、このとき私は、気象に関する知識とデータがなかったため、絶対的な確信を得るまでには至りませんでした。
最近になって、他のブログで、気象方面からのアプローチで、まったく同じ結論を出している人が複数出てきました。また最近になって、東電が修正データを発表したため、再臨界の可能性を含めて再検討できるようになり、また東電による印象操作にかんしてもより詳細に論じることができるようになり、こうして新たにブログに記事をアップする次第です。
以下、論証が極めて長いので、概要として、結論だけ箇条書きで記しておきます。
- 3/21に関東地方を襲ったフォールアウトは、大気圏核実験が全盛期だった過去50年間の同地域の総量に匹敵する莫大なものであった。
- この放射性物質は、よく言われるように、3/15までに福島第一原発から放出された放射性物質が雨によって落ちてきたものでは決してなく、直前に放出されたものである。
- その汚染源は明らかに3号機であり、おそらく福島第一原発最大の事故であった。
- パラメータを分析すると、3号機では、3/20-21に圧力容器設計圧力を大幅に超える圧力が記録され、また格納容器内の爆発的事象によって圧力容器・格納容器とも大破したことが明らかである。
- その事故は再臨界を伴う可能性が否定できない。
- この異常事態を受けて、放射性物質の放出を防ぐために、1000トンを超える放水が行われた。
- 3/21に行われた海水サンプリング調査・土壌採取などは、3号機格納容器内爆発という事態を受けたものである。
- 3/21の3号機原子炉建屋から出た煙は、原子炉が破損した物理的な帰結であるが、東電は当然それを認めることができない。
- 東電・政府はこうした最悪の事態を知りながら隠蔽している。
- 東電は、こうした事態を隠匿するため、データの間引きや悪質な印象操作をいくつも行っている痕跡がある。
3月21日前後、関東地方を襲った放射性物質降下について
現在、様々な農作物や海産物などから放射性物質が検出され、内部被曝が懸念されておりますが、そのもっとも重要な被害は、主に関東地方に降りそそいだ3月21日の放射性物質降下(以下フォールアウトと呼びます)によってもたらされました。3月15日にも放射性物質が放出されたことはよく知られていますが、それは希ガスが主体であり、農作物や人体への被害は比較的軽微だと考えられるからです。それにたいし、21日のフォールアウトは、ヨウソ・セシウム・ストロンチウムなどが主だったと考えられています。
東大の早野先生(@hayano)のチームが作成したグラフがあります。
図1 全国の放射線量 3月15-5月2日
これを見れば全国、とりわけ関東地方で、まったく同型のグラフの動きが確認できます。15-16日に非常に大きなピークがありますが、それは直後に急降下しています。それに対して、21日にピークがありますが、それは漸近線を描いて下がっていっています。これらピークが福島第一原発由来のものだとすると、両者の違いに関する解釈は、論理的には二つありえます。一つは、21日以降、恒常的に福島第一原発から放射性物質が放出されている可能性です。もう一つは、21日に後者で放射性物質が地表に降下して、それが空間線量に影響を与えている可能性です。もちろん、この二つが複合していることも十分ありえるでしょう。
図2 日本分析センターにおける空間線量率(PDFより)
図3 東京都健康安全研究センターにおける放射線量と降下物
諸々の研究機関による核種分析により、15日と21日では、その主成分が異なることが判明しています。15日は、キセノン133など人体に軽微な影響しかない希ガスが主ですが、21日のフォールアウトでは、セシウムやヨウソ・テルルなどが主体であることが判明しています。15日に希ガスが多かったのは、原因が2号機のサプレッションチェンバーの破損であるため、放射性物質が一度水を通してから放出されたためであると考えられます。すなわち、事実上、ウェットベントをしたのと同じ効果があったのではないでしょうか。
さて、21日のフォールアウトは想像を絶するものだったことが、直後から判明しています。文部科学省は、毎日の全国各地のヨウソ131とセシウム137のフォールアウトを「環境放射能水準調査結果(定時降下物)」として発表していますが(http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1305495.htm)、その3月20-21日、21-22日のデータは以下の通りです。
図4(PDF) 図5(PDF)
定時降下物20日9時-21日9時 定時降下物20日9時-21日9時
上記のデータから3月19日9時から3月26日9時までの積算フォールアウトの表を作成してみました。
I-131(MBq/km^2) | Cs-137(MBq/km^2) | |
山形県(山形市) | 68532 | 7860 |
茨城県(ひたちなか市) | 208130 | 25790 |
栃木県(宇都宮市) | 55710 | 992 |
群馬県(前橋市) | 21306 | 1173 |
埼玉県(さいたま市) | 67517 | 2973 |
千葉県(市原市) | 45294 | 3593 |
東京都(新宿区) | 84333 | 6409 |
神奈川県(茅ヶ崎市) | 5556 | 440 |
特筆すべきは、ひたちなか市と新宿の値です。MBq/km2 はBq/m2 に換算可能なので、ひたちなか市では1平方メートルあたり20万ベクレル以上のヨウソ131が、25000ベクレル以上のセシウム137が地表に降り積もったと考えられます。新宿では同じく、ヨウソ131が約85000ベクレル、セシウム137が6400ベクレルです。そして、これら大部分が、20日から23日までの3日間に降りそそいでいるのです。
これは、どの程度の値なのでしょうか。
また、一瀬昌嗣・神戸高専准教授(サイエンスメディアセンター 核実験フォールアウトとの比較)によれば、「1963年6月に、日本に降った最大のフォールアウトのセシウム137の放射能は、550Bq/m2」であり、「Cs-137で比べると最も多かった1963年の1年間に東京で1935 Bq/m2、1957年4月~2009年3月の合計では7095 Bq/m2」です。大気圏核実験が頻繁に行われていた(チェルノブイリ事故の影響も含む)過去50年間と、ほとんど同量のCsセシウム137が、たかだか3/21-3/23の2日間で降り積もったことになります。なお、広島原爆の黒い雨のCs-137の土壌沈着量は、最大で493 Bq/m2であったと論じられています。
マーチン・トンデル氏のスウェーデンにおけるチェルノブイリ事故調査によると、1平方メートルあたりのセシウム137の汚染が10万ベクレルで、ガン発生率が11%あがるとの結果が提出されています。http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/tyt2004/tondel.pdf これに照らし合わせると、くだんのフォールアウトによるひたちなか市での発がんリスク増加は、3%弱であると考えることができるでしょう。
ただし、重要なことは、発がんリスクは放射性障害のごく一部にしかすぎず、心疾患、脳溢血、消化器疾患、呼吸器疾患など様々なリスクが確認されており、またもっとも典型的な兆候は、「原爆ぶらぶら病」や「湾岸戦争症候群」に見られるような不定愁訴であることです。発がんリスクはあくまで健康被害の一つの指標にしか過ぎず、内部被曝によって表れる様々な症状を、発がんリスクへと還元するかのような統計は、住民たちの実際の健康障害を著しく低く見せる効果があることに、私たちは留意する必要があります。
3月20-21日の放射性プルームの動き
3月21日前後に関東を襲った甚大なフォールアウトが福島第一原発由来のものだとして、それは何号機からいつ発生したものでしょうか?
東大の早野龍五先生などは、主な放射性物質の放出は3月15日までに発生しており、21日の降雨とともに上空の放射性物質が降下してきた、という説を以前提唱しました(ガジェット通信「3月15日に福島原発より大量放出。以降、大気への大量放出は起きていない」)。
そして、同様の説が、現在もまたメディアや一般人の大部分が信じており、それゆえ、21日前後のフォールアウトについて「いまだ発表されていない大事故が起こったのではないか」という点の追求は不十分であったと言わざるをえません。それは、Twitter上で最大権威となった早野先生の影響もあるでしょうし、またテレビ映像で爆発として目に見えた(結論を先取りすれば、それゆえ東電が隠蔽することが不可能であった)事故が15日までに集中していたこと、がもう一つの原因でしょう。
ところが、早野先生の説は、看過できない欠陥を何個も抱えており、議論としては維持不可能である、と私はこれまでずっと考えてきました。(以下の考察は、主にkenkenさんのブログ「3/21 柏市を汚染した放射能プルームについて」を参考にさせていただいており、また、図10と図12を拝借いたしました。この場を借りて感謝申し上げます。)
※重要な追記 早野先生にTwitterで確認したところ、この説はすでに撤回したとのことです。非常に真摯な回答に感謝いたします。ただ、現在の早野先生の考えとは別に、この説はそれ自体として検証されるべきであるということ、また、3/15以前に放出されたという説は一般に流布してしまっていること、その点から未だに、以下の批判的記述は意味があると私は考えるため、そのまま置いておきます。
実際に、早野先生とどのようにやりとりをしたかは、本記事の末尾に記しておきます。
一つは、直感的に言って、一週間近く前に放出された放射性物質からなる放射性プルーム(放射性雲)が、関東地方といったせいぜい数十キロー数百キロ圏内の上空を、大部分の放射性物質を落とさずに、また拡散せずに、漂い続けることが可能なのだろうか、というものです。たとえば、ドイツのシュピーゲル誌などが、オーストリア中央気象台による放射性物質拡散シミュレーションを掲載していますが、これをみると、放射性雲は偏西風に乗って時速数十キロで移動し、拡散しているように見えます。これは、他のシミュレーションでも同様です。
図6 オーストリア中央気象台 I-131拡散シミュレーション 3/15-3/18
また、早野先生は、日本分析センター(千葉)のデータ(本ブログ記事の図2)をもとに、「3月16日を最後に原子炉からの直接放出の証拠であるXe-133がほとんど見え」ないということを根拠に、それ以後の放出はなかったと言っていますが、よく拡大して見れば、他のグラフに隠れているだけで、確実にXe-133のピークは確認できます。
図7 3/18-3/20 空気中の核種 図8 3/20-3/22 空気中の核種
また、つくばの高エネルギー加速器研究機構で採取された「空気中の放射性物質の種類と濃度の測定結果」のグラフを抜粋しました。図7が第六回採取資料(2011年3月18日10:16〜3月20日9:55)で、図8が第七回採取資料(2011年3月20日10:00〜3月22日9:54)です。両者を比較すると、その組成が全く異なることがわかります。このことは、21日以降の空気中の放射能汚染が、それまでとは別の汚染源からもたらされたものであることを示唆しています。
早野先生は上記の図2の降雨量と放射性物質降下との相関関係に注目し、前者が後者の原因であったと論じています。確かに、原発事故後、21日で初めて広範囲の降雨があったことは確かです。ですが、この比較は、あまりにも時間軸を荒く見過ぎだと思います。じっさい、3月21日の雨のデータと、空間線量の上昇データとの時間データをより細かく調べれば、茨城県では雨が降る前に、放射線量が上昇していることが確認できます。
図9 3/21 4時の茨城県の雨雲 図10 3/21 茨城県の空間線量
これは、「3/21のフォールアウトは上空の放射性物質が雨によって落ちてきただけである」という説明とは相容れません。
図11 図12
また、3/21、全国的に雨雲は西から東に移動してきています(tenki.jp 3/21 雨雲の動き)。 もし、早野先生の説が正しければ、フォールアウトもまた西から東へと進んでいなければいけないはずです。ところが、図9 「茨城県東部 放射線モニターデータ解析」(理化学研究所仁科加速器研究センター専任研究員 板橋健太様作成)の3/21のデータを 茨城県の空間線量の増加を確認すると、疑いなく北(福島第一原発方面)から南南西へと、放射性プルームが移動していることが確認できます。また、先にご紹介したブログ「3/21 柏市を汚染した放射能プルームについて」によると、時速20-30kmで、「午前3時20分に大沼で観測された上昇が東海村、水戸、鉾田、つくば市へ伝播している」ことが確認できます(図12)。
さて、以下の論考は、chocovanillaさんのブログ【シリーズ 3月21日】による、気象学的な考察をおもに参考にさせていただきます。
国立情報学のページ「福島第一原発事故タイムライン(ドキュメンタリー)」によると、3月20日、福島第一原発の周辺の風向きは、朝10時から東風、夕方には南風になり、夜の10時から12時にかけて北風に反転したということです。
ちなみに福島第一原発から日立市大沼までの距離は106km、日立市大沼で放射線量が上がり始めたのが21日3時20分なので、そのとき風速20km-30kmで運ばれていたと仮定すると、その放射性プルームはちょうど福島第一原発を午後10時-12時に放出されたものであるということになり、ぴったり符合します。
3月21日の午前9時の天気図は以下の通りです。
図13 3/21 9:00の天気図
停滞前線沿いに上昇気流が発生し、放射性プルームは静岡にある低気圧の中心へと流れて停滞前線に沿って運ばれたと考えられます。
プルームは海を南下し、停滞前線に当たって進路を変えます。一部は上昇して、低気圧の中心近くで降雨し、大部分は前線に沿って移動して、柏東葛地域での雨で、地上へと落下し ホットスポットを形成したものと考えられます。進路に関わらず前線に沿ったとすれば、雨の振り出しが関東ではほぼ同時であった為、 非常に直線的な汚染が辻褄が合うのです。(chocovanillaさんのブログより)
福島第一原発3号機炉心で起こったこと パラメータ分析
さて、3月20日から21日にかけて、福島第一原発では何が起きたのでしょうか。これだけの莫大な汚染をもたらした事故が発生したとすれば、それが公式に発表されていないということはありうるのでしょうか。
3月20日の福島第一原発の動きは、私の手元にある3月21日発表の官邸発表資料(http://www.kantei.go.jp/saigai/201103211900genpatsu.pdf 削除済み)を見れば非常によくわかります。彼らはそのとき、3号機に注視していました。抜粋します。
20日 08:00 3号機に関し、炉内の温度が三百数十度になっており、炉圧が高くなっている。(原子炉の通常運転中は280-290℃)
14:30 3号機に関し、原子炉格納容器内が高めで推移していることから注視。
21:30 3号機に関し、緊急消防援助隊(東京消防庁)の消防車による連続放水(約1、137トン)を実施(-21日03:58)
15:55 3号機に関し、灰色の煙が噴出(調査中) 16:49 3号機の煙に関し、煙量に変更はないが、灰色から白色に変化 18:02 3号機に煙に関し、沈静化を確認
事実関係だけ述べるならば、20日午前から午後まで3号機格納容器内の圧力が非常に高まり、その後圧力低下を受けて、21時半から1000トン以上の放水を行った。これは、同時期の他号機への放水が軒並み100トン以下であることを考えれば、異常な量と言えるでしょう。そして翌日午後3時に、原子炉建屋から煙が出始めました。
さて、当時のメディアでは、3号機についてどのように報道されていたでしょうか?実は、このときドライベントを行う予定でした。3月22日の毎日新聞は次のように報道しています。
3号機では20日、格納容器内の圧力が急に高まり、東電は一時、容器内の水蒸気を直接、大気中に放出する「ドライベント」と呼ばれる方法での排気を検討した。・・・3号機はその後、格納容器内の圧力が下がったため、ドライベントは見送られた。
もしその通りだとして、なぜ圧力は低下したのでしょうか?そして、本当にドライベントは見送られたのでしょうか?これが1つ目の謎です。
もうひとつの謎は、翌21日に3号機原子炉建屋から放出された煙についてです。東電は、おおむね次のように釈明していました。「煙については調査中です。どこから出てるのかはわかりません。放射線レベルから見て、問題はないです。でも、念のため、作業をいったん中断して、作業員全員を退避させました」。そして、私が知る限りにおいて、その点について今まで一切の説明はありません。
しかし、なぜ何週間・何カ月たっても、煙の原因がわからないのでしょうか?これが火事である可能性が仮にあるのだとすれば、本来、すぐにでも消化活動を行わなければ、以後の復旧作業に差し支えるのではないでしょうか?なぜ、彼らはこの煙を放置したままでいられたのでしょうか?
実は、5月16日に東電は3号機パラメータの膨大な修正資料を提出しました(http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/f1/images/11051612_level_pr_data_3u-j.pdf)。その結果、以前よりも詳細で正確な分析が可能となっています。このデータから、圧力容器内の原子炉圧力(A)をグラフ化したものがこれです。
図14 3号機原子炉圧力(A)の動き
3月21日の未明に、著しく異常な事態が発生していることが見てとれます。具体的には、それまで0.1MPa前後を推移していたのに、突然21日1時25分には8.968MPaを、1時45分に11.571MPaを、2時30分に10.774MPaを記録し、その後4時には0.2MPaまで下がっています。
さて、以上の数字が突出しすぎているため、細かい動きがほとんどわからなくなってしまっていることを踏まえて、もっと細かいグラフを出します。
図15 3号機原子炉圧力(A)(B)および格納容器圧力(ゲージ圧に換算)
まず、19日未明に格納容器圧力と原子炉圧力(B)ともに大幅に下がっているのが確認できます。このときに、何が起きたのかははっきりわかりませんが、その後格納容器・圧力容器とも圧力が上昇したことから、両者とも健全性が保たれていると思われるため、おそらく、この時点でベントを行ったのではないかと推測できます。実際、図16を見れば、格納容器の圧力低下とともに、格納容器内の放射線量が低下していることが確認できます。
図16 格納容器圧力と格納容器内放射線量の比較
しかし、18日に格納容器内放射線量が54.4Sv/hから105Sv/hまで急増していること、その後おそらくはベントとともに急落し、その後上昇をする、これは何を意味しているのでしょうか?単なるメルトダウンでは、ここまでの放射線量の増減を説明することは困難ではないでしょうか。ここで再臨界が発生していた可能性を指摘することは可能かも知れません。実際、図8で示した、筑波における空気中の核種分析で見られたテルルやテクネチウム99m(半減期6時間)などは、そうした可能性を示唆しているようにも思われます。また、既出の官邸資料によれば、20日の午前8時に炉内の温度が、通常運転時よりも高い三百数十度を記録したことも、これを裏付けています。
※追記
放射線量の急激な上昇については、メルトダウンでは考えにくい、と言いましたが、必ずしもそんなことはないことを、Web上のご指摘でいただきました。たしかに、圧力容器外部に大量に溶けた燃料が落ちると、放射線量が増大する可能性はあります。
圧力変化の分析を続けましょう。3月19日のお昼ぐらいから、圧力容器・格納容器ともに上昇を続けています。また格納容器内放射線量のデータは19日の大部分が抜けているのですが、20日に入ったあたりから急上昇を続け、この三つのパラメータは20日午前4時にピークを迎えます。その後、圧力容器・格納容器圧力は緩やかに下降していきますが、格納容器内放射線量はほぼ一定水準を保ったままです。このときの圧力低下が、何かしらの爆発的事象なのか、それともベントなのかははっきりとは判明しませんが、おそらくは何らかの形で放射性物質が漏れており、それが図1の、茨城県の20日12時前後の小さなピークと対応していると考えられます。
その後、9-11時前後に不可解な微増減がありますが、それから15時ぐらいまで、格納容器圧力・圧力容器圧力ともに漸減していっています。このとき、原子炉水位が上昇していることから、注水作業が行われたことが推測でき、圧陸低下はその結果だと考えると、この時点まで圧力容器・格納容器の健全性が保たれていたと考えるのが妥当でしょう。
その後、15時から格納容器圧力・圧力容器圧力ともに急降下しています。この前後の敷地内の放射線量はほとんど公開されていないのですが、唯一公開されている事務本館北の放射線量の数値が、14時までの2.5mSv前後から15時前後に3.3mSvまで急増したことから、このときに一度目、格納容器内の爆発など、なんらかの形で格納容器の健全性を損なう出来事があったことは想像に難くありません。そのとき、ちょうど西風が吹いており、また夕方になって南風に変わったため、20日19時以降西に110km離れた山形市でフォールアウトが発生し、また北の秋田市でも午後9時ごろ、わずかに放射線量が増大したものと考えれば、完璧につじつまがあいます。
図17 東北地方の空間線量
その後、21時半から翌21日の3時58分まで、1000トンを超える莫大な量の放水作業を、3号機に向けて行っています。そして、その放水と、原子炉圧力(A)が11.5Mpaを超える異常値が検出された時間は、完全に重なっています。これは、どのように解釈できるでしょうか?もし、この異常値が実際の圧力容器内の圧力を反映していたのだとすれば、これは明らかに異常な事態です。というのは、福島第一原発の圧力容器の設計圧力は8.61MPa(=87.9kg/cm2g)なので、大幅に超過しており、圧力容器がこの時点で大破した可能性は高いと思われます。そして、圧力容器における異常な圧力上昇という事態に対処するために、東電は莫大な放水を行ったということになります。
あるいは、原子炉圧力計の異常値は、放水の結果であるという可能性も全否定はできません。すなわち、圧力計になんらかの形で水が当たり、それが異常値を引き起こした可能性です。この仮定のもとでは、この時点ですでに圧力容器が破損していたということになるでしょうし、さらに、破損していなければなぜ東電が莫大な放水を行ったのか、説明が困難となります。しかし、この可能性は論理的には否定できないものの、あまり考えられないことです。というのは、データ採取は放水を一時的に中断したときにしか可能ではないだろうと推測できるからです。
図18 3号機格納容器圧力(ゲージ圧に変換)(東電修正前データで作成)
ともあれ、放水終了後も圧力は低下し続け、格納容器圧力は21日15時までにほぼ大気圧と一致し、その後6月21日現在まで、ずっと大気圧と平衡を保ちつづけています。このことから、3月20日に格納容器が完全に損壊したと断定できます。
また圧力容器内圧力も、3月21日以降ほぼ平衡を保っております。原子炉圧力計(A)と(B)の値の違いを解釈することは、非専門家である私には困難ですが、その後(A)が安定して下がりつづけて(B)と一致し、現在は-0.1MPa前後で平衡を保っていることから、圧力容器も健全性を保っていないことが見てとれます。
いずれにしても、20日15時から翌日4時までの間に、3号機で相当に異常な事象が発生したことは疑いようがありません。そして、これが、おそらくは福島第一原発最大の事故であり、20日の山形のフォールアウトと、翌21日の関東地方のフォールアウトの汚染源であったことも確実です。
ただ、午後20時から翌日の1時25分までのパラメータが、5時間半にわたって完全に欠如していることが問題です。現在わかっている範囲では、午前1時45分から4時までの原子炉圧力(A)の低下が、図12での日立市大沼の午前4時のピークをもたらしたと考えるのは、両者の距離が100km以上離れていることから考えると、非常に困難が伴います。むしろそれは、午前6時過ぎの二つ目のピークと対応していると考えるほうが自然でしょう。ならば、3号機からの主要な放射性物質の放出は、20日午後11時から翌0時半ぐらいまでに発生したと考えなければ、関東地方の放射性プルームの最大のピークと符合しなくなります。ところが、何度も言いますが、ちょうど放水中のためか、その時間帯のデータが欠落しているのです。
このあたり、具体的に何が起きたのか、そして再臨界はあったのか、原子炉の専門家による分析と、(もし存在するならば)東電・政府からのさらなるデータの発表を待ちたいところです。
20-21日にかけての東電・政府の対応
3号機の異常にたいして、東電・政府はどのように対応したのでしょうか。彼らは、こうした異常事態を知らなかったのでしょうか、それとも、異常を知っていたのでしょうか。もし、当時把握していたのなら、事故を知っていて隠蔽していたことになります。
3月20日の格納容器・圧力容器圧力の上昇、そして格納容器CAMSの上昇を受けて、東電・政府がドライベントをする予定であったことは、すでに述べたとおりです。しかし、彼らの発表によれば、圧力が低下したため、ドライベントを行う必要がなくなった、とのことでした。この圧力低下がどの時点のことを意味しているのか、定かではありません。ともあれ、私たちの分析が正しければ、3/19の未明と3/20の午前4時に、二回ベントを行っているはずです。もし、発表内容と整合性を保って理解しようとするならば、これらはドライベントではなく、ウェットベントであり、それゆえ特段の釈明を必要としないと彼らが考えたのではないか、という推測がなりたちえます。
ところで、私たちはこの文脈で、3/20 11:30に発表された首相官邸の声明「東北、関東の方へ――雨が降っても、健康に影響はありません。」を解釈することが可能でしょう。
この声明を読んで誰もが変だと思うのは、健康には何ら影響がないと言いながら、「雨がやんでから外出」「雨に濡れないようにする」「雨にぬれても心配はないが・・・念のために流水でよく洗う」ことを東北・関東の国民に勧め、そうしなくても「健康に影響」は出ないと言っていることです。表面だけ読めば、言ってることめちゃくちゃですね(笑)。この声明のメタメッセージは、「健康に被害があることは官邸としては立場上言えないけれども、できるだけ雨に当たらないようにしてください」ということのように思われます。
この声明が、3号機での異常事態の進行にあわせて発表されました。これが、ドライベントを前提としたものなのか、それともドライベントが不可能であることから、格納容器内での爆発的事象の回避が不可能であると彼らが考えたために発表したものなのか、そこは定かではありません。実際のところ、判断するための材料の一つは、午前4時半から10時までのパラメータの詳細な動きがわかれば、ウェットベントに限界があったのかどうかなど、もう少し具体的な判断材料がはっきりするのですが、この間ちょうど5時間以上も、データが欠落しています。そして、官邸資料には
08:00 3号機に関し、炉内の温度が三百数十度になっており、炉圧が高くなっている
と記述があります。これは、この時点でデータ採取がなされていた証拠であり、そのデータを(未発表の温度データも含めて)未だ東電は発表していないということになります。だとすれば、この午前8時時点でも、隠蔽せざるを得ない異常な事態がすでに発生していた、という推測が可能かもしれません。
そして、午前9:55から11:00にかけて、4回もデータ採取を行っています。そして、この時、原子炉圧力のパラメータが、二つとも、微増源を繰り返しているのが気になります。
図19 3/20 原子炉圧力の推移詳細
これは想像に過ぎませんが、10-11時の間にドライベントを試みたが、それが失敗に終わったことを示しているのかもしれません。その時点で、格納容器内の爆発的事象は時間の問題となったため、11時30分に官邸が「雨に濡れないように」という主旨の声明を出した、このように考えることもできるのではないでしょうか。
図20 東電修正後パラメータ抜粋
その後おそらく、15時から圧力容器圧力・格納容器圧力は急降下を始めます。15時で0.155Mpaあった原子炉圧力(A)は、19:40には0.095Mpaに、格納容器圧力は0.189MPaから0.124MPaにまで下降しました。先に述べたように、この時点で格納容器に損傷があったと考えるのが妥当ならば、おそらくは格納容器内で爆発があったのではないかと推測できます。
21時30分からの1000トンの放水は、この圧力低下を受けて行われたものでしょうか?爆発的事象が15時前後であると推定するなら、これは遅すぎる対応である気もします。しかし、19:40分から3回、10分刻みで測定していることを考慮すると、彼らはこのときに初めて、圧力低下が注水の結果ではなく、格納容器・圧力容器の破損が原因であると気づいたのかもしれません。(パラメータの値だけではなく、データ測定の頻度や欠落もまた、重要なメタデータです。)あるいは、発表されていないデータで、20時以降に原子炉圧力計(A)が急激に上昇し、それが放水のきっかけになったという可能性も否定はできません。
いずれにしても、事実として確実に言えることは、21時30分から翌3時58分まで、異例の長時間にわたって1000トン以上の放水が行われたこと、このときすでに格納容器が破損していたこと、そして放水の間、原子炉圧力計(A)が11MPaを超える異常値を示したことです。この放水には、2つの意味があったと考えられます。一つは、格納容器・圧力容器の温度低下・圧力低下を目的としていたということ。もう一つは、放水によって、放射性物質の空気中への飛散をできる限り抑えようとした、という目的です。
21日4:00にデータ採取を行ったところ、原子炉圧力計(A)は、ほぼ正常値である0.202MPaまで下がっています。この間隔の短さからすると、3:58の放水終了後すぐにデータ採取を行ったというよりは、むしろ放水を一時中断してパラメータを測定したところ、ほぼ正常値まで下がっていたため、それをもって放水終了とした、と推測する方が妥当でしょう。すなわち、この時点までに圧力容器が完全に損壊し、圧力容器内の放射性物質放出は止んだ、と東電は判断したのではないかと思われます。
ところで、海江田経産相が、東京消防庁に対して長時間の放水を強要し、「速やかにやらなければ処分する」と恫喝まがいのことを言ったとして、21日に石原都知事が菅首相に抗議を行った、と報道されています(読売新聞 22日)。ちなみに、21日の官邸資料によれば東京消防庁が長時間放水を行ったのは、19日の14:05-翌3:40と、いま私たちが問題にしている20日21:30-翌3:58の二回なので、この発言が、どちらの放水の時に行われたのかは判然としません。読売新聞によれば、13時間連続放水と言われているため、19日に開始した放水の方と解釈できます。
ところが、より情報ソースに近い猪瀬副都知事のブログ記事「福島原発の放水活動で東京消防報告。今後の教訓にしたいこと。」には、次のような記述があります。
○ 本部は原発の現場より20km離れたところに前線指揮所が設置されている。
(中略)
○ 現場を知らない本部の人達から、東京消防庁が現場で判断した方針を変更するよう度々要求された。
・放水は当初4時間の予定だった。その後状況を勘案し、必要に応じ再度放水することにしていた。しかし、連続して7時間放水し続けるよう執拗に要求された。結果として、7時間放水することになったが、そのため2台ある放水塔車のうち1台がディーゼルエンジンの焼き付きにより使用不能となった。
・東京消防庁にて海から放水塔車までの給水ホースの設置ルートを800メートルの最短距離で、設定していたが、遠回りにするように執拗に要求された。
・「俺たちの指示に従えないのなら、お前らやめさせてやる」の発言もあった。
○ 職員の命を預かる隊長としては、現場をわかっていない人達に職員の命を預けるわけにはいかない。
当初4時間の予定であった放水が、連続7時間の放水になったと副都知事は述べているわけですが、それは20日21:30に放水を開始しながら、翌1:25、1:45、2:30、4:00とパラメータ測定を行いながら、原子炉圧力計(A)がほぼ正常値に戻るまで放水を続けたという私たちの想像と、ほぼ一致します。ならば、逆に言えば、放水塔車のディーゼルエンジンを破壊し、また経産大臣が直々に現場作業員に対して恫喝を行いながらも、それでもなお放水を行わねばならない深刻な事情があった、そしてそれについて、東京消防庁や東京都には知らされていない、という推測が成り立つでしょう。
逆に、ごく常識的に考えて、東電・政府は東京消防庁の現場の職員に、今3号機のパラメータと炉心で進行していると思われる事態を説明する必要がないため、現場の作業員としては「現場をわかってない人たちに不可解で、かつ実行に無理がある指示をされた」という憤りを感じることは必然です。
ともあれ、この、おそらくは確度が高いと思われる推測が意味するものは、非常に大きい。なぜなら、このとき東電ばかりでなく、経産大臣をはじめとした菅政権の中枢部分が、3号機で起きていた異常事態を周知していたということを意味しているからです。
さて、3/21の14:30に、事故後初めての海水サンプリング調査を東電は実施したことは、みなさんご記憶の通りです。東電の発表によると、その調査によって基準値を大幅に上回るI-131、Cs-134、Cs-137が検出されました。
図21 東電発表 3/21 海水サンプリング核種分析
なぜ、この時期になって初めて東電は海水サンプリング調査を行ったのか。それは、3号機からの放射性物質の放出を防ぐために放水した大量の水の一部が、おそらく海に流れ込んだからだ、と考えれば辻褄が合います。
また、3月27日の時事通信によると、21・22日に東電は福島第一原発敷地内の土壌を採取して、プルトニウムの検出検査を行ったことも、20日にMOX燃料を使用している3号機の格納容器内で爆発があったと考えると符合します。そして実際に、28日の東電の発表によると、プルトニウム238、239、240が検出されました(3月29日 読売新聞)。これも、3号機格納容器が爆発したことの有力な証拠になるでしょう。
3号機の話に戻ると、21日15時から灰色の煙が放出されていることが確認されました。23日の官邸資料(削除済み)から引用します。
15:55 3号機に関し、灰色の煙が噴出(調査中)
16:49 3号機の煙に関し、煙量に変更はないが、灰色から白色に変化
18:02 3号機に煙に関し、沈静化を確認
図22 3/21 3号機の煙の様子 共同通信 東京電力提供
また、この煙について、sponichiの記事では次のように書かれています。
東京電力によると、21日午後3時55分ごろ、3号機の原子炉建屋屋上の南東側から煙が上がっているとの連絡があった。煙は黒色で、時折灰色に変わりながら減少。6時ごろに収まった。煙の発生場所は使用済み燃料プールの上側。放水作業のため正門近くにいた東京消防庁の部隊は約20キロ離れた指揮本部に退避。安全が確認されるまで放水活動を中止する。東電の作業員も避難し、復旧へ向けた作業は1日程度足踏みする見通しとなった。
原子炉の構造を考えれば、使用済み燃料プール上側ということは、原子炉の上側ということになります。そして、この煙がどういうものかははっきりとはわかりませんが、官邸資料にあるように、灰色から白色に変化したということは、水蒸気が混じっているであろうことは推測できます。
さて、この煙は、以前に述べたように、非常に謎が多いものです。まず第一に、なぜ煙の原因は現在まで特定できなかったのか。第二に、なぜ東電は消火活動を行わなかったのか。しかも、放水活動を行う準備ができている東京消防庁の部隊が、現場付近にいるにも関わらず。第三に、「3号機の原子炉圧力容器および原子炉格納容器のパラメータ、周辺環境のモニタリング値に大きな変動」はみられない(東電発表より)としながらも、なぜ作業員は退避したのか。さらに東京消防庁の部隊は、なぜ煙が出ているのを見ながらも、20kmも退避したのか。
こうしたことを総合すると、この煙が通常の火事では決してないということを、東電が熟知していたということを示唆している、としか私には思えません。
では、反対方向から推論してみましょう。私たちは、すでに3号機格納容器と圧力容器が破損していることを、パラメータから確認しました。その時の原子炉内の温度は発表されていないものの、原子力安全・保安院のデータによると、3月23日4:00の圧力容器底部の温度は253度もあり、かつ内部に水分が存在するため、多かれ少なかれ原子炉から水蒸気が放出されることは物理的に必然です。
逆に言えば、東電はこの煙を決して原子炉から放出されたものと認めることができません。なぜなら、それを認めたならば、圧力容器も格納容器も破損していることを認めざるをえないからです。だから、長期間にわたって「原因不明」とみなしながら、消火活動も行わずに放置した。しかし、この煙が放射性物質を大量に含んでいることが明らかなため、作業員を退避させた。このように推測すれば、東電の行動は、非常に納得がいくものとなります
※ちなみに、なぜ煙が当初灰色で、その後白色に変わったのか、この問題に関しては、専門家の見解を仰ぎたいところですが、フランスのIRSNは、これはコアコンクリート反応であったという見解を提出しています。(http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/disaster/2792610/7005562)
東京電力の隠蔽工作・印象操作について
今まで、3月20-21日にかけての関東地方のフォールアウトが直前の3号機から放出されたものであるという仮説について、気象やプラントパラメータ、東電・政府の行動など様々な角度から検証してきました。その結果、3号機格納容器内で爆発的事象が発生したことは疑いようがなく、さらにそれが再臨界を伴っていた可能性まで示唆されました。
そうだとすれば、東電・政府はこの極めてシビアな事故を、現在に至るまで隠蔽し続けていたことになります。いかにして、このようなことが可能だったのでしょうか。おそらく、この問いをいま、直截的な形で、メディアや研究者たちに向けることは、さほど生産的なことではないでしょう。ただ、東電がこの事態をどのように隠蔽してきたのか、その印象操作の一端を簡単に見せておくことは、私たちにとって非常に有意義なことだと思います。そのことを通じて、私たちが今後、情報操作に惑わされないような教訓を得ることができるからです。
まず、前節最後に述べた、3号機の煙の話です。21日15:55分-18時までの煙の発生前後で、「3号機の原子炉圧力容器および原子炉格納容器のパラメータ、周辺環境のモニタリング値に大きな変動」はみられない(東電発表)と東電が述べたため、これが異常な事象の兆候である、とは一般に受け止められなかったきらいがあります。
図23 東電発表修正パラメータ抜粋 右がD/W圧力(絶対圧)、その左の二つが原子炉圧力(ゲージ圧)
ところが、実際のパラメータを見ればわかるのですが、煙が出始めた時点では、すでに格納容器圧力も圧力容器圧力も、ほとんど大気圧と平衡になっており、それゆえ両方とも破損していたことが確実だったのです。これでは煙がでても、原子炉パラメータに「大きな変動」が見られるはずがありません。当然、東電はこのことを知っていたはずです。
また、東電発表のパラメータを、修正前と修正後を比較すると、データを間引きすることでどのような印象を東電が作ろうとしてきたのかも見て取ることができます。
図24 格納容器内放射線量 修正前(赤線) 修正後(青線)
たとえば、3号機格納容器内CAMS(A)(=放射線量)のグラフですが、修正前は赤の点で断続的にのみ発表されていました。これだけ見ると、順調に放射線量が下がっていったかのように見えます。ところが、修正後のパラメータをグラフにしてみると、そのグラフの直前に放射線量が急増しており、その後18-20日までの間に乱高下していたことがわかるのです。
また、修正後パラメータで設計圧力を大幅に超える11.5MPaを記録した原子炉圧力(A)(図14参照)に至っては、修正前はデータそのものが公表されていませんでした。
図25 修正前原子炉圧力(A) (3/21発表官邸資料)
では、東電による修正後のパラメータには問題がないのでしょうか。私たちは、すでにそれに関しても、存在するはずのパラメータが発表されていない、として疑念を唱えましたが、一つ決定的な印象操作が見られます。修正資料の1ページ目のグラフをお見せします。
図26 東電修正資料1ページ目、3号機水位・圧力にかんするパラメータ
このグラフには、3/21未明の原子炉圧力(A)の異常値が表示されていません。
なぜ、このようなことが可能だったのでしょうか。この答えは、3/21未明の異常値が、8.968, 11.571, 10.774と、すべて縦軸(右側)の最大値8MPaを大幅に超えていたことにあります。逆に言えば、東電は、この異常値をグラフに残さないために、わざとグラフの最大値を8MPaに設定したと疑るのは、決して不穏当なことではないでしょう。逆に、最大値をもっと小さく取れば、21日の推移がより具体的に見えることになるでしょう。つまり、8Mpaという最大値は、21日の事態をもっとも小さく見せることができる値です。これは、決して偶然ではない、すなわち、東電は、パラメータを精査せずグラフだけ見た人に、20-21日に特別な緊急事態が起こったという印象を与えないために恣意的な操作を行った、と言って差し支えないと思います。
追記
このブログ記事執筆後、ブログコメントやTwitterなどで寄せられた情報の中で、個人的に重要だと思われるものについて記していきたいと思います。
図25 3/20 15時-17時30分 福島第一原発放射線量サーベイ
これは、コメントで、ふるじゅんさんから教えていただいたものです。色々出所などを調べてみましたが、3/22に2chにこの画像だけ投稿されたものが初出のようで、それ以上の情報はほとんどわかりません。ただ、このフォーマットによるサーベイ結果自体が東電によって公式に発表されたのがずっと後であることなどから考えて、捏造の可能性は非常に低いと個人的には思います。関係者がリークしたものと考えるのが妥当でしょう。その観点で見ると、3号機周辺、とりわけ風下である西側・北側の線量で100mSvを超えるなど異常に高いことから、本記事での推測(15時前後に格納容器破損)と見事に一致します。
もし、仮にこの情報が誤っていたとしても、17-21日のモニタリングポストの値などはほとんど公表されていないことが最大の問題な訳で、こうしたリーク情報を東電に突きつけることで、東電にデータを提出させることがもっとも重要だと私は思います。
と、思って追記したあと、ちょっと調べてみたら、東京電力が3/23のサーベイマップを公表していたことに気がつきました。
http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/f1/index3-j.html
一番古いものが3/23で、これは上のサーベイ結果と基本的に矛盾していませんね。
図26 3/23 福島第一原発サーベイマップ (東京電力公表)
ただし、このPDFのプロパティを確認したところ、4/25作成です。
ところで、東大の早野龍五先生の3/15大放出説に関するダイアログを残しておきます。
ishtarist
@hayano 不躾ながら質問よろしいでしょうか?以前に、大規模放出は3/15以降なく、3/21のフォールアウトは雨によるものだ、という説を提唱されていたと記憶しております。その後、5月末のツイートを拝見したところ、20日前後に放出があった可能性を示唆されているように見えました。
http://twitter.com/#!/ishtarist/status/86025459539779584ishtarist
@hayano 当初の説は、撤回されたと考えてよいでしょうか?それとも、まだ、可能性としてはありうると考えていらっしゃるのでしょうか?くだんの説は、社会的影響力が非常に大きく、そのまま信じている人が多いため、現在の早野先生の見解を是非お訊きしたく存じます。
http://twitter.com/#!/ishtarist/status/86025900604407808hayano ryugo hayano
@ishtarist ご質問ありがとうございます.3/21早朝ににプルームが茨城を通過した様子など,これまでにも繰り返しツイートしております,3/15の物とは別のプルームが南下し雨によって地面に落ちました.
http://twitter.com/#!/hayano/status/86027713198043136ishtarist
@hayano お返事ありがとうございます。ということは、15日までに放出されたという以前の説は、基本的には撤回されたと考えてよろしいでしょうか?
http://twitter.com/#!/ishtarist/status/86031356634742784hayano ryugo hayano
@ishtarist はいtwilogをまだ調べてないのですが,かなり前にそのように認識しました.
http://twitter.com/#!/hayano/status/86032057393881088ishtarist
@hayano 了解しました、お手数おかけいたしました。ありがとうございます
http://twitter.com/#!/ishtarist/status/86032239808352256
以上、批判・反論・補足など歓迎いたします。
筆者への連絡はこちらまでお願いします。
追記 マスコミ関係者各位、もし記事にしたい方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。
はじめまして。「回答する記者団」という名称でフリー記者をしている佐藤裕一と申します。東京電力で行われている記者会見に週1〜2回ほど参加し、一般から寄せられた質問を代理で聞いています。寄せられた質問内容を十分に理解した上で聞くのは難しいこともありますが、もしかしたらお役に立てることがあるかもしれません。下記ページもご参考ください。唐突に失礼致しました。
返信削除http://kishadan.com/lounge/welcome.cgi
http://hato.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1306251777/
このコメントは投稿者によって削除されました。
返信削除非常に重大な検証です。
返信削除拡散させていただきます。
四号炉が再臨界に達しているという情報もありますが。
隠蔽できるものではないでしょうに!!
よろしくお願いします。
凄いですねぇ!
返信削除驚きました。
未だ全く収束のメドが見えない中、注目させて戴きます。
是非今後の検証もお願い致します。
このコメントは投稿者によって削除されました。
返信削除気になっていました。3月19〜21日の不可解さ。検証・考察、ありがとうございます。多くの矛盾が解消されているように思います。
返信削除ところで、3/20の敷地内放射線量を示した図を入手しています(15:00-17:30)。出所も投稿者も不明、前後関係不明ですが、3号機周辺が非常に高い…など、現実的です。3月下旬に発見、RTしましたが、今は公開済みでしょうか?何かの(どなたかの)お役に立つかもしれないと思い、ご案内致します。
http://static.ow.ly/photos/original/9ooW.jpg
ふるじゅんさんのURLにあるサーベイマップですが、自分も2chで3月22日に拾いました。
返信削除画像のプロパティではiPhoneで21日に撮影されたようです。
サーベイマップが公表されるようになったのは、ずっと後になってからです。
全く同じことを考えている方がいて、うれしいです。
返信削除自分は官邸資料をずっと追っていて、3月末に、20日から21日にか
けて3号機の圧力容器、格納容器が破損したと考えていました。
理由は圧力の急減と各地の空間線量の上昇、大量のフォールアウトです
。
貴殿の考察はさらにその後の情報も加わって、詳細化されており、見事
なものと思いました。
2chで「回答する記者団の佐藤」さんという記者が、共同会見での質問
を受け付けてくれているので、この日のことを炉心状態評価の件に絡め
て保安院に聞いてもらいました。
http://hato.2ch.net/test/read.cgi/lifeline/1307351830/
とりあえずこのタイミングで放射性物質の放出があったことは認めてい
ます。
6日に出された保安院による炉心状態の評価は3月18日までに限られ
ていました。自治体などが公表してきた資料では、3月20、21日頃
の空間線量が爆発当初に次いで高くなっています。
放射性物質の排出量は3月20、21日頃も含めて再計算するのでしょ
うか。住民の被曝量の推定にも関わるので再計算が必要だと思いますが
、どうでしょうか。
2011年6月15日17時~保安院会見
http://live.nicovideo.jp/watch/lv53332068
00:34:30頃から
保安院西山「我々の先日発表したものは、だいたい3月16日くらいま
でを評価したと思います。
だいたい当初の一番大きな動きのあったところはカバーできているとい
うふうに思っておりましたけれども、いただいた図を見ると確かに3月
21日あたりにピークが立っているので、ちょっとこれは、こちらの専
門家も含めて検討してみたいと思います。」
保安院に。6月6日に出された炉心状態の評価に関して。6月15日夕
方の保安院会見で、ひたちなか市で放射線量のピークがあった3月20
~21日も含めて炉心状態を再評価するかどうか質問しましたが、どう
なりましたでしょうか。
6月20日16時30分~統合対策室会見
http://live.nicovideo.jp/watch/lv53843431
#02:27:00頃から
保安院西山「ご質問をいただいて、解析の専門家と話してみました。結
果としてはこういうことでありました」
「まず福島第一周辺のモニタリングデータにおきましても、確かに3月
20~21日のあたりでは線量率の上昇が確認されておりますので、こ
れについては、福島第一での放出の影響というふうに考えられると思い
ます」
「3月21日において起こったことを振り返ってみますと、1つは18
時20分ごろに、2号機におきまして、原子炉建屋において、それまで
確認されていた白い靄状の煙、湯気のようなものがですね、新たに原子
炉建屋の屋上の屋根部のあたりからも出ていることが確認されたという
ことがありました」
「それから、同じ日、21日の18時55分ごろには、3号機におきま
して、屋上の南東側から、やや灰色がかった煙が発生しているというこ
とがありました」
「一方でプラントパラメーターを見てみますと、1号機2号機について
は安定した状態にありまして、一方3号機については、20日にある程
度上昇していた格納容器の圧力が、21日の昼までの間に大気圧まで減
少したということがありました」
「こういうことで、これらの事態の影響があったものというふうに思わ
れます」
「それで、一方で、炉心の状態の解析をこの時点まで延ばすかどうかと
いうことについては、解析自体は100時間程度でですね、100時間
程度の解析をしたところで、炉心の状態の進展が落ち着いております」
「その後の状態としては、状態を解析していこうとしても、海水注入の
状態といったことに大きく依存してしまう解析になってしまうので、そ
の状態をどういうふうに想定するかといったことで、想定の仕方によっ
て実態とかけ離れた解析結果となるということで、その時点までの解析
コードを用いた評価というのは、これは専門家の目から見て意味がない
と、難しいというふうな結論でありました」
「他方、原子力安全委員会から公表されておりますモニタリングデータ
と、拡散計算との比較から、放出率を推定する独立行政法人の日本原子
力研究開発機構(JAEA)の試算におきましては、この20日21日
において、ヨウ素131で10の14乗ベクレル・パー・アワーのオー
ダーの放出というふうに試算されているところであります」
「ですから、そういう状態は我々も認識いたしておりますけれども、解
析自体を延ばすということについて、意味が見い出せないという状態に
あります」
これからもがんばってください。
このコメントはブログの管理者によって削除されました。
返信削除kajikaさま
返信削除拡散ありがとうございます。
とても嬉しいです。
これからもよろしくお願いします。
惜しむ!さん。
返信削除コメントありがとうございます。
微力ながら、私も今後、検証とかお手伝いさせていただければと思いますので、よろしくお願いします。
ふるじゅんさん。
返信削除非常に重要な情報、ありがとうございました。
これは初めて拝見いたしました。
風向きも合いますし、このデータは非常に理にかなっていますね。
ところで、ブログには書かなかったのですが、猪瀬副都知事のブログで、「給水ホースの設置ルートを800メートルの最短距離で、設定していたが、遠回りにするように執拗に要求された。」という記述がありますよね。
実際の放水地点がわからない(どこかの新聞記事で見た気もしますが)のでなんとも言えませんが、たぶん、最短距離だと、普通に考えると、2号機と3号機の間を通ると思うんですよね。
で、放射線量が非常に高い(そしてそのことに気づかれたくない)東電・政府が、そのルートは迂回するように求めたんじゃないかな、と思います。
ともあれ、このデータの真偽はわからないにしても(僕は本物だと思いますが)、これを東電に突きつける必要はあると思います。
これを否定するためには、本物のデータを出してこざるをえないでしょうし、王手飛車のような手でしょうね。
gyuchanさん。
返信削除ありがとうございます。
なるほど、撮影されたのは21日なんですね。
あと、ご質問について、これは知らなかったので、非常に助かります。
ただ、10の14乗というのは、数百テラベクレルってことですよね、、2桁以上低い気はします。
まだまだ追求する価値があると思います。
ありがとうございました。
この3月20日撮影されたとされる放射温度の検証では、
返信削除http://www.houseoffoust.com/fukushima/R3.html
格納容器のフタが無くなっており、圧力容器のフタの隙間から、気体が漏れ出ている事がわかります。
建屋の水素爆発や、燃料プールの爆発などで、
格納容器のフタが吹き飛ぶのかという疑問をずっと抱いてましたが、
やはり容器内部の爆発だったという事でしょうか。
政府は東電から正しい報告を受けていなかったのでは?
返信削除すばらしい分析ですね。私のブログでも紹介させてもらいました。
返信削除放射能汚染水の分析などを中心にいろいろと書いていますのでよかったら見に来てください。
http://tsukuba2011.blog60.fc2.com/
Twitter上でいつも拝見しています。
返信削除ishtaristさんの原発事故に関する詳細かつ緻密な分析は
いつも参考にさせていただいています。
ありがとうございます。
この分析は反原発系の政治家とかに存在を伝えると
場合によってはうまく生かしてくれるかもしれませんね。
3月15日3号爆発起因の放射性物質が
返信削除3月21日~の雨で降下という、何となく
説得力をもってる説。
(まー世間の大多数は無関心でしょうが)。これには私も否定的でした。
その理由は、
・3月15日は北東の強風であったため、
上記爆発に発出する放射性物質は、
強風にのって関東を抜け間もなく太平
洋の方へ吹きでた
裏付けとして、
・駒沢の大気浮遊塵は、16日激減、17
日からほぼ検出されていない
・15日は空間線量が一瞬だけ上がり、
すぐに平常値に戻っている
・物質の種別も、千葉分析センターの
計測では、ガス状のものが多く、風で
余計に流されやすいと思われる
やっぱり3月20日~21日未明にかけて
「全く違う新しい事象」がなかったと考
えるほうが不自然でしょう。
しかも3月15日と比較にならない深刻
なもの。事象およびその結果として降
下量・物が全く異なるんだという点に
ついては、本ブログで分析されてるの
で省きますが。
私は、15日と21日~のフォールアウト
結果は全く違うと思っていましたが、
原発自身に起こった事象については、
本ブログの分析は丁寧にやられてい
て、非常に有益でした。
(しかも大体当たってるんじゃないかな)
ご参考に。NHK2001年6月5日のETV特集「続報汚染地図」より。原発事故の専門家が21日の白い煙の汚染に言及しています。
返信削除「元日本原子力研究所の田辺文也さん(原子力安全研究)、アメリカ、スリーマイル島原発事故などの原因分析に携わって来ました。田辺さんは原子炉内の冷却水が失われる中で、炉心の溶融、所謂メルトダウンが起こって、プルトニウムが出て来たと考えています。」
「プルトニウムを含むエアロゾルは、いつどの原子炉から飛び出したのでしょうか。田辺さんが妖しいと睨むのが、3月16日や21日に原発から立ち上った白煙です。」
もっとも重要な放射能汚染は3月21日に起きていることをなぜ東電と政府は隠すのでしょう?15日の汚染は公表しましたね。その違いはどこでしょうか?
返信削除user1600さん。
返信削除貴重な情報ありがとうございます。
ちょっと複雑な話なので、全部は目を通せていないのですが、
20日のサーモグラフィの時点では、格納容器のキャップはまだ取れていないけれど、リークがあることが見て取れる、という話だったかと思います。ということは、これ以後にキャップが取れたのではないか、ということでしょうね。。
またじっくり読ませていただきます。ありがとうございました。
ひどいねさん、コメントありがとうございます。
返信削除仰っていること、まったく同感です。
ハローワールドさん。
返信削除有益な情報、ありがとうございます。
もへじさん。
返信削除私が思うには、15日までとの違いは、一つは表に映像として表れる爆発だったかどうかだと思います。
1号機や3号機の水素爆発も、映像で撮られていなければ、東電・政府は公表したかどうか、かなり怪しいのではないかと思います。
それと、もう一つは、17日前後に、テレビは全部撤退していたのではなかったかと思います。このブログでは述べていませんが、そのあたり(ちょうど空中・地上放水をしはじめたころ)から、報道が統制され、モニタリングポストが公表されなくなり、放射線測定位置が正門から西門に変えられたり、不振な動きがありました。21日に、それらは戻ったのですが・・・。どうも、先に起こることを見越して、隠蔽するように前から手を打っていたように私には見えるのですが、確証はないです。
3月21日の線量の高さは異常だったので、ずっと不思議に思っていました。このブログを読んで、東電の発表と21日の3号機の火事の写真を見返してみました。http://www.tepco.co.jp/en/news/110311/images/110321_1f_kokuen1.jpg この火災は果たして何だったのか?改めて考えさせられてしまいました。もしご推察の通りなら、東電と政府の作ったプランではとても事態を収束できるとは思えません。
返信削除既に建屋は爆発していたので、外からのカメラに写っていないだけに、この3月21日の事件は秘密にはしやすいですね。
東電のやり方としては数ヶ月後にほとぼりが冷めてから、実は・・・・とさらっと発表してしまう可能性もありますね。目から鱗のブロクを読ませていただいてありがとうございました。
とても丁寧な解析ありがとうございます。ちなみに、米国空母ジョージワシントンが21日に横須賀から退避した件については、「(福島の)壊れた原子炉からの放射性物質を検出したために、海に退避するように指示した」とあります。米軍も20日の放射性物質の上昇は検出していたようです。
返信削除http://www.navytimes.com/news/2011/04/navy-carrier-george-washington-returning-yokosuka-041911w/
http://www.cbsnews.com/stories/2011/03/21/eveningnews/main20045637.shtml
ようやくこんなニュースが出てきましたね。
返信削除福島第一原発3号機で、メルトダウンした後に固まった燃料が震災の10日後に再び溶融していた可能性があることが専門家の研究で分かりました。
3号機は、3月11日の震災後、すぐに津波の影響で原子炉への注水機能が失われ、3月13日午前に海水注入が行われたものの、3月14日に原子炉建屋が水素爆発しました。
東京電力によりますと、燃料の大部分は圧力容器にとどまっているものの、一部が格納容器に落ちている可能性があるとしています。しかし、3月20日夜から21日朝にかけて圧力容器への冷却水が減少したり、圧力が急上昇したのは、燃料の大部分が「再溶融」して、大半が格納容器に落下していることが原因である可能性のあることが、旧日本原子力研究所の元研究員で現在は社会技術システム安全研究所の田辺文也所長の解析で分かりました。このため、放射性物質が新たに放出され、風下になった関東地方で3月21日に放射線量が上がったとしています。
中島様。
返信削除そうですね、私もすっかり失念して書き忘れておりましたが、
確かに21日にジョージワシントンが緊急出航していましたよね。
そのとき、横須賀のモニタリングポストでも空間線量が急激に上がっていた記憶があるので、当然の措置なのですが、
問題は、この件に関して、日本政府が米軍に説明していたかどうかではないかと思います。
真紀さん。
返信削除そうですね、やっとこの件に関するニュースが少し出始めた感があります。
ただ、この説明で納得がいかないのは、再溶融自体は可能性が高かったとしても、
やはり放射性物質が放出されるためには、格納容器が損傷していなければならないということ、そしてその原因についてはきちんと説明されていないように感じるところです。
はじめまして。ネイチャー誌に3/20頃、4号炉から相当量のセシウム137が放出されたという論文が発表されたそうです。ご存知でしたらすいません
返信削除http://www.nature.com/news/2011/251011/full/478435a.html
こんにちは
返信削除I want to share this page with you
http://istimejapan.blogspot.com/
私のブログをご覧ください
ishtaristさん、大変な労作ですが、やや重要と思われる点がありますので、コメントさせていただきます。
返信削除実は、私も4/7の拙ブログにて、3/21の再臨界の可能性について少し検討しましたが、その後以下の理由で否定的な印象を持つに至りました。
http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/38177889.html
日本分析センター発表(4/1)のグラフを見ると、Te-132とその中間娘核種I-132の変化は、3/21に同時にジャンプしているものの、この前後を含め一貫して平行に推移しています。これは、両核種が放射平衡に達していることを意味します。
この放射平衡は、(Te-132の半減期) >> (I-132の半減期) という条件下、中間娘核種であるI-132の半減期(2.295時間)の7倍以上の期間が経過したときにおきます。
自分でシミュレーションしてみましたが、3/21に再臨界が起こって新しく生成されたTe-132が環境に放出されたなら、Te-132のジャンプと同時に、しかし次第にゆっくりと娘核種であるI-132が立ち上がり、12時間後にピークを迎え、その後は平行に推移するという経過を辿ります。
これは、グラフの縦軸を対数表示にしてもはっきりと視認できる変化で、公開のものとは明らかに異なります。
各地のジャンプ時点と降雨開始時点にずれがあるのは、雨の降り始めに最も多量の降下があり、気象観測点における自動観測にかからない、降り始めの霧雨のような極小雨によってもたらされたと考えることができます。
また、3/21 午後4時頃に3号機から灰色の煙が立ち上ったとの報告があるので、この時、何らかの理由で放射性物質の放出量そのものが急増したこともあり得ますが、これは、放射壊変熱によるもので、再臨界によるものではないというのが現在の私の認識です。
なお、放射平衡についての良い解説が下記にありますので、お時間がありましたらご検討の上、ご意見をいただけましたら幸いです。
http://www.shse.u-hyogo.ac.jp/kumagai/eac/chem/radiochem.htm
さつきさん、なぜかコメントがスパムとして認識されていたため、公開とお返事が遅くなったことをお詫び申し上げます。
返信削除なるほど、非常に興味深い論点で、詳しく検証していないのですが、確かに仰る通りだと存じます。再臨界の可能性は非常に低いでしょうね。
ただ、様々な気象条件などから、3/20前後になんらかの爆発的事象が3号機であったことは、確かだと思われます。日本物理学会で、そのときに再溶融があったという発表があったそうですが(機会があってサマリーだけ読みました)、それが真相に近いのかもしれません。
はじめてコメントさせて頂きます。
返信削除いつも貴重な記事をありがとうございます。
この3月20日ー21日について、関東圏で実際に最大の降下物汚染が生じたわけですが、これについて、原研におられた田辺文也氏が1号機と3号機の燃料再溶融を指摘しています。去年の静岡の新茶のセシウム検出もこの際の汚染としています。
(著書「まやかしの安全の国」、第四章)
これを裏付ける、詳細なブログ記事も出ています。
今、がれき受け入れを既に進めているのが、東京と静岡であることが、たまたまとは思えません。以下ご参照ください。
http://gensizin4.seesaa.net/article/221482028.html
http://ishtarist.blogspot.com/2011/06/20113203.html
http://minkara.carview.co.jp/userid/863031/blog/c691778/
とても魅力的な記事でした!!
返信削除また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
はじめまして 読ませて頂きあの日の3号機の火災の謎が解けました。
返信削除昨日 関東地方でもストロンチウムの検出を認める新聞記事を読みましたが
もう起こってしまった事項はどうする事も出来ない。今後 疾病が増える事と思うが、それによる医療費増大が心配だ。隠ぺい工作は政府の得意技の様に思えるが、水俣病以上の被害者が出た時 政府はどの様な対応をするのか気になります。大飯を可動させた途端に今度は高浜を可動させると言いだす関電社長の発言はまさに国策民営を表しているよい例だ。
福島原発廃炉だけで10兆円かかると試算されているが、その財源は血税だろう財政健全化どころか スペイン以上の財政状況になるかもしれない。
電力が足らないと産業が立ち行かなくなるのは事実だが、だからと言って原発可動!は短絡的に思える。