2010年7月31日土曜日

消費税増税のシミュレーション 1 メタ理論編

消費税増税で日本経済がどうなるかシミュレーションしてみたので、その根拠と計算方法、そして限界を示しながら説明したいと思います。

先日、Twitterで、消費税増税後5年後、10年後のシミュレーション結果を提示したのですが、多くの人は、私のシミュレーション結果と、経済学者や政府が言っていることとの間に大きな乖離があることに驚いたことでしょう。なぜ、かくもかけ離れているのか、それは経済にかんする理解の相違に基づくわけですが、まずそれを本質的なところからまず説明してみたいと思います。

まず、一国の経済システムは主要な四つのプレイヤーに分かれます。企業・家庭・銀行・政府(日銀含む)、です。企業の内部にも様々な産業があり、それらが(たとえば卸売業と小売業を物流業が媒介するというように)複雑に連関しあっているわけですが、そうしたことを捨象すると、だいたい図のようになります。

国家経済モデル

この図では線はお金の流れを示しています。青い線は、たとえば商品や労働力と引き替えにお金を支払う、実体経済のコアの部分です。言い換えれば、この青の線と逆方向に、モノやサービスが回り続けています。緑の線は、お金の貸し借りをあらわしており、そこには国債購入や年金なども含まれています。赤い線は、税金をあらわしています。この図には、いくつかの要素が欠けていて、たとえば日銀が米国債を買ったり、銀行や企業の海外への資金流出などもあるはずですが、とりあえずその実態がどれぐらいの規模なのか調べていないので、今回は省きました。

この図のポイントは、日本経済の実態にあわせて、あくまでだいたいですが、流通金額と線の太さと比例させて書いているということです。そして、図のようにお金が、時に速くなったり遅くなったりしながら、ぐるぐる回りつづけて自らを再生産する、それが経済システムなのです。

ここからわかるように、私たちの経済システムの中核は、家庭と企業、そして企業間の経済循環であって、その他の取引は、それを補完したり調整したりする、いわば周辺部分なのだ、ということです。たとえば、今の日本のGDPはだいたい500兆円ですが、民間給与の総額が200兆円、個人消費の総額が280兆円です。それに対して、グローバル化とか言われていますが、輸出総額は70兆円、輸入総額は60兆円程度にすぎません。国内での企業間取引もあわせると、海外との貿易は、国内経済の、たった5分の1以下の影響力しかないのです。

あるいは、「みんなの党」などリフレ論者が主張する量的緩和ですが、それは政府・日銀が、銀行などから直接国債を買うことで資金供給しましょう、そしたら「理論上は」お金が溢れてインフレになりますよ、ということです。でも彼らは、2001年からの量的緩和の「実際の」効果の程をあらわすこのグラフについてどのように説明するつもりなのでしょうか? 金融緩和の失敗

このグラフは、リチャード・クー『「陰」と「陽」の経済学』の45ページにあります。量的緩和をおこなっても、民間向け信用は減り続けています。なぜ、理論に反して、このような事態になったのか、リフレ論者は説明できているのでしょうか?もしそのメカニズムを彼らがわかっていないのだったら、今後も同じ政策を採用しても、同じ失敗を繰り返す可能性が高い。普通の人ならそう考えます。

例えば、栄養失調患者の症状を示している患者がいるとしましょう。直感的には、栄養を与えれば栄養失調からは回復できる、と考えます。そこで医者は、ニンニクエキス、うなぎ、などを患者に与えますが、どんどん弱っていきました。そこで医者は「栄養がまだ足りてない」と考え、ニンニク20個、ウナギ10匹で効かなければウナギ30匹、そしてダメなのでスッポンやマムシの生き血を大量に飲ませます。その努力に反して、患者はどんどんと衰弱していく・・・。まさにこんな印象を上のグラフは抱かせます。

この医者の何がダメだったのでしょうか?「思い込みが強いところと、反省しないところ」。確かにそのとおりです(笑)。反論の余地はありません。まあ、理論的な間違いを言えば、栄養を与えれば、自動的に栄養失調が改善されると考え、栄養が吸収されるメカニズムについてまったく考慮していないのが間違いだったのです。つまり、患者は栄養摂取不足ではなく、胃腸が極度に衰弱していたために、栄養が吸収できないのが、栄養失調の原因だった。にも関わらず、医者はどんどん強い食べ物を大量に与えていって、胃腸をさらに衰弱させ、かえって栄養失調を促進していたのです。

まあ、実際にはこんな医者は非常に少ないと思いますが、マスコミに出てくる経済学者はこの手の人間が大部分です。理論によって現実が動いていると信じている。だけど、理論より現実の方がはるかに複雑で、人間には、その全体像を認識することも把握することもできません。その現実をなんとか理解し、予測しやすくするために、現実を部分的に取り出して単純化したのが理論なのです。だから、すべての理論、とりわけ社会理論と経済理論は、それが成立する文脈や経済システムの条件を、常に念頭においておかないといけないのです。(このあたりの話は、カール・マルクス「経済学批判 序説」に書いてあります。)

先のリフレ政策の例で言えば、経済学では、中央銀行の流動性供給とマネーサプライ、そして民間企業への貸し出しが非常に強く連動することになっています。上のグラフをみると、確かに90年まではその連関がはっきり見られます。ですが、それ以後は、この三つの指標が完全にばらばらに動くようになってしまったのです。なぜか。それは、この連動性は、つねに民間の資金需要が存在することを条件としているからです。当たりまえですよね。だって、日銀がお金を銀行に貸しても、企業が銀行にお金を借りなければ、市場には回らないわけですから。そして、リチャード・クーによれば―それは私は明らかに正しいと思う訳ですが―、90年代、多くの企業がバブル崩壊で債務超過になってしまったせいで、お金を借りるどころか借金返済にまわったわけです。今でこそ、ほとんどの企業は債務の返済を完了して綺麗になっているのですが、それでも企業はお金を借りようとしません。クーは、それをバブル崩壊を経験した経営者による借金恐怖症のせいだと主張していますが、僕の考えは微妙に違います。彼がいう、投資不足による「バランスシート不況」のメカニズムは2003年頃に終わっているのですが、1998年から、サービス残業の拡大と非正規雇用の拡大による、給与削減メカニズムが作動しており、それが個人消費不足となってデフレを生み出している。経済全体のパイが縮小し続けているため、投資需要が生まれない。こういうことだと思っています。ともかく、銀行から企業へ、企業から家庭へ、家庭から企業へ・・・こういうお金の流れがスムーズに働いて、初めて金融政策が意味をなすわけです。その経済循環がないのに、銀行をお金でじゃぶじゃぶにしても、企業はそもそもお金を借りようとしないし、どこかでバブルを生み出すだけですし、もしそれでもなお企業がさらに設備投資をしたとしたら、生産性が増大することで、リストラを促進し、かえって需要と供給のあいだにギャップがうまれ、デフレを生み出してしまうのです。それは、胃腸が弱ってる人はあまり食欲がないし、その結果栄養失調になるけれど、でも無理に食べさせるとかえって胃腸を壊して栄養失調を促進するのと、構造的にはほぼ同型です。

経済学者は、理論が現実から抽出された、単純なモデルであることを忘れ、理論それ自体を信じはじめます。そして、現実は理論どおりに動か「なければならない」と考え、現実がもはや理論と整合しなくなっていればいるほど、理論に固執するのです。研究者たるもの、本来は、理論と現実の齟齬こそを、より整合的な理論へと破壊的創造を行うための一つのチャンスであると受け止めなければならないはずです。そのための一つの導きの糸(というのは現実自体は認識ができないので)が、最初にあげた国家経済の再生産モデルです。この図をもう一度みてください。経済学者が精緻に理論化していて、マスコミで「経済学者の知見」として取り上げられるのは、政府から銀行への流動性供給や、政府から企業への公共事業、銀行と企業の間のお金の貸し借り、税制、そして輸出と輸入です。ですが、これらはすべて、はっきり言ってしまえば、どれも多くが10兆円単位の、日本の経済システムの周辺部分にしかすぎないことが見てとれます。もちろん、それらは条件によっては重要な調整機能や逆機能を果たします。だけど、経済システムの根幹は、国内での民間給与→個人消費→(企業間取引→)民間給与という循環であることは、この全体像を見る限り疑いようもないことです。ですが、この領域は、ほとんどの経済学者の認識からすっぽりと抜け落ちているのです。

それにも関らず、実は、00年代以降の日本経済は、まさにこの基底的な循環によって、構造的に強く規定されています。それが、経済学者の解説や予測がまったく的外れになった理由ですし、まさにこのメカニズムの理解によって、消費税増税のシミュレーション結果が、彼らと私の間で決定的に異なる理由なのです。

00年代以降の日本経済が、民間給与と個人消費のサイクルによって強く決定されているということを、まずグラフで示してみたいと思います。年収とGDPデフレーター

まず、一人当たりの年間給与とGDPデフレーターとの相関関係をあらわすグラフです。もちろん、年間給与が左目盛りで、GDPデフレーター(積年)が右目盛りです。だいたい、2002年ぐらいから、給与所得とGDPデフレーターが非常に緊密に連動していることがわかると思います。これは、デフレの構造的要因が、給与が下がる→個人消費が低迷するため、企業が値段を下げる→リストラや賃金カットにより給与が下がる、というメカニズムによって生じていることを強く示唆しています。厚生労働省が発行している平成21年版労働経済白書も、90年代半ば以降のデフレは、このメカニズムによってデフレのほとんどすべて説明できると主張しています(p110)。また、「まとめ」の次の論述は、非常に簡潔で的確です。私の解説と冗長になりますが、引用しておきます。

バブル崩壊以降、我が国の状況は一変した。総需要の停滞は著しく、完全失業率は継続的に上昇するとともに、1990年代末からは物価の継続的な低下がみられるようになった。こうしたもとで、企業は賃金抑制傾向をさらに強め、それがまた消費と国内需要の減少へつながり、さらなる物価低下を促すという、物価、賃金の相互連関的な低下が生じるようになった。総需要が減退し、価格が継続的に低下する状況は、企業の前向きな投資環境として好ましいはずもなく、我が国経済は極めて深刻な事態に直面した。(p212)

「労働経済白書」の論述の明確さに比して、経済学者の論じるデフレ対策のなんと愚鈍なことか。デフレ対策をするならば、まず企業が従業員の賃金を下げ続ける事態に歯止めをかけなければいけない。まして、好況の時にも平均給与を下げ、派遣社員を増やすことで給与総額を抑制していれば、個人消費は増えず、経済は自律回復のしようがない。この自律回復を妨げている原因が、企業の内部留保の拡大、その反面の被害総額年間40兆円にものぼるサービス残業と、非正規雇用の拡大による賃金抑制なのです。(前回のブログで、非常に単純なモデルで、儲けようとした人がかえって収入を減らしたことを思い出してください)。ここにメスを入れなければ、デフレ対策など絶対に不可能です。

さて、もう一つ、個人消費と名目GDPとの関連についてもグラフで示しておきます。

個人消費総額と名目GDP

給与総額と個人消費総額が左目盛り、名目GDPが右目盛りです。これもまた、2001年ぐらいから、驚くほど個人消費総額と名目GDPが緊密に連動しているのがわかると思います。具体的に言うと、名目GDPのうち個人消費が占める割合が、55.5%から56.5%の間で安定しているのです。

念のために言っておきますが、常に「GDPデフレーターと平均給与が連動し」し、「個人消費と名目GDPが連動する」という相関関係が、常に、経済法則という真理であると主張しているわけではありません。そうではなく、ここ10年ちかい日本の経済システム全体の再生産構造においては、この二つの要因が、決定的に日本経済を規定しているおり、そのため近似的に、上記が「経済法則」である「かのように」、私たちの目に映っているだけなのです。

(ちなみに、経済・社会システム論者であったマルクスの労働価値説も、同様の議論です。つまり、19世紀イギリスの経済システムにおいては、労働力の値段と利潤率が市場全体で平準化する傾向にあったため、あたかも投下された労働力に比例して値段が決定される「かのように」見えている、言い換えれば価値法則が成立している「かのように」見える、そのシステム論的なメカニズムをマルクスは「資本論」で示そうとしていたのです。)

では、この二つのグラフの背後にあるメカニズムを、一貫したものとして理解するのはけっこうな難問です。もう一度説明すると、平均給与の低下はGDPデフレーターと連動しています。それは、給与が下がるとモノが売れなくなるため、企業が利益を維持するために、結局給与水準の下落と同程度値下げをせざるを得ない、こういうメカニズムが働いていることが容易に予測できます。その一方で、平均給与が下がり、従業員(ほぼ非正規雇用)が増えているため、民間給与所得は横ばいになっていますが、個人消費はわずかに増えており、それが日本経済を下支えしていたわけです。問題は、個人消費の微増と給与総額の横ばい、この間のギャップをどのようにして説明するかです。どうも様々な要因があるようで、基礎的支出の物価上昇が半分以上を占めることは確かなのですが、その他が説明できません。収入面で言えば、年金が5兆円程度増えているのは確かです。もしかしたら、企業の利益拡大に伴って、富裕層の消費が増えたのかもしれません。

ともあれ、民間給与ー個人消費というサイクルと、経済システムとの非常に強い連関が現在見いだされることは、十分に示せたと思います。この連関が維持されている以上、消費税増税がどのような結果を生み出すのか、ある程度の精度のシミュレーションを示す準備が整ったわけです。具体的なシミュレーション方法とその結果については、次回のアップデートで提示します。