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2013年11月26日火曜日

東京電力原発事故、その恐るべき健康被害の全貌 ―Googleトレンドは嘘をつかない― ②データ編

 

理論編のおさらい

東京電力原発事故で、あらゆる健康被害が爆発的に増加しつつある。このデータを本稿でお見せいたしますが、その前に「理論編」のおさらいをしておきます。

●東京の放射能汚染は、「放射線管理区域」相当の汚染状況である。

●広島・長崎やチェルノブイリなどの過去の例からいって、被曝による健康被害の典型は癌ではなく、倦怠感・心不全・膀胱炎・ホルモン異常・免疫低下など、全身の多様な慢性疾患であること。

●「科学的にいって放射能は安全である」という議論の元となっているICRPは、論理によってデータを排除し、残ったデータで理論を強化する「神話」の「循環構造」を構成している事。

●東京電力原発事故の主たる放射性降下物は、セシウムを含む不溶性合金の放射性物質微粒子(ホットパーティクル)であることが実証されたこと。

●人工放射性物質と自然放射性物質の唯一の違いは、ホットパーティクルを構成しうるか否かであること。

●ホットパーティクルとよばれる人工放射性物質の微粒子のリスクを、ICRPの体系が過小評価していること。

●バイスタンダー効果など最新の生物学の知見によって、ホットパーティクル(放射性物質微粒子)の危険性が明らかになりつつあること。

上のことで、これからお見せするデータが、充分な理論的バックグラウンドでもって、予測・理解可能なことを示したつもりです。「科学的にいってこれは放射能のせいではありえない」という批判をしたい方は、ぜひ「理論編」を読んだ上で、批判を試みてください。

 

なお、本稿のデータ・本文は、引用・転載自由です。全文転載は、非商用に限り認めます。このデータと手法が、私の手を離れてできる限り拡散することを望んでおります。

2011年6月25日土曜日

2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発

 

はじめに

12日1号機の水素爆発、14日の3号機における水素爆発、15日2号機のサプレッションチェンバー爆発。これら相次ぐ事故によって、福島第一原発から今まで放出されてきた放射性物質の大部分は15日までに放出されてきたものであるかのように東電・政府は発表しています。

ところが、もっとも重要な放射能汚染は3月21日に起きていることは、あまり一般には知られていません。その汚染源が3月20日-21日にかけての3号機格納容器内爆発であること、それを東電・政府は当然知りながら、隠蔽していること―これがほぼ「事実」であると断定できるだけの判断材料がすでに揃いました。

ちなみに、こうした結論の大部分は、実のところ、以前に私が、3/24までに出したものです。それについてはTwitterで当時連続ツイートして、その成果をTogetterにまとめました(http://togetter.com/li/115299)。ただし、このとき私は、気象に関する知識とデータがなかったため、絶対的な確信を得るまでには至りませんでした。

最近になって、他のブログで、気象方面からのアプローチで、まったく同じ結論を出している人が複数出てきました。また最近になって、東電が修正データを発表したため、再臨界の可能性を含めて再検討できるようになり、また東電による印象操作にかんしてもより詳細に論じることができるようになり、こうして新たにブログに記事をアップする次第です。

 

以下、論証が極めて長いので、概要として、結論だけ箇条書きで記しておきます。

  • 3/21に関東地方を襲ったフォールアウトは、大気圏核実験が全盛期だった過去50年間の同地域の総量に匹敵する莫大なものであった。
  • この放射性物質は、よく言われるように、3/15までに福島第一原発から放出された放射性物質が雨によって落ちてきたものでは決してなく、直前に放出されたものである。
  • その汚染源は明らかに3号機であり、おそらく福島第一原発最大の事故であった。
  • パラメータを分析すると、3号機では、3/20-21に圧力容器設計圧力を大幅に超える圧力が記録され、また格納容器内の爆発的事象によって圧力容器・格納容器とも大破したことが明らかである。
  • その事故は再臨界を伴う可能性が否定できない。
  • この異常事態を受けて、放射性物質の放出を防ぐために、1000トンを超える放水が行われた。
  • 3/21に行われた海水サンプリング調査・土壌採取などは、3号機格納容器内爆発という事態を受けたものである。
  • 3/21の3号機原子炉建屋から出た煙は、原子炉が破損した物理的な帰結であるが、東電は当然それを認めることができない。
  • 東電・政府はこうした最悪の事態を知りながら隠蔽している。
  • 東電は、こうした事態を隠匿するため、データの間引きや悪質な印象操作をいくつも行っている痕跡がある。

 

2010年8月1日日曜日

消費税増税のシミュレーション 2 予測編

さて、前回のブログ、消費税増税シミュレーションのメタ理論編に引き続いて、消費税増税について検討してみましょう。

まず、消費税増税をすると、年金不安が解消されて消費が増え、デフレが解消されると自民党の谷垣総裁が発言し、菅首相も同様の発言をその後したと記憶していますが、それは明らかな誤謬です。というのは、すでに見たように、個人消費の低迷は、そもそも民間給与総額の低下にあるからです。収入が減っているのに、「年金は将来も安心だからお金をぱーっと使おう」と思う人はいませんよね(笑)。というか、思っても、先立つものがなければどうしようもありません。それに、少なくとも年金不安より大きな問題は、収入不安・雇用不安です。もし将来的に収入が減る、あるいは解雇されるという恐れがあるならば、消費は抑制されます。つまり、個人消費を決定する要因は、おそらく

現在の収入>近い将来の収入・雇用不安≫年金不安

です。

もう一つ検討しないといけないことがあります。消費税増税は、政府でどのように使われるのか、です。つまり、財政再建のためなのか、それとも小野理論が提唱するように、福祉目的の雇用に使われるのか、という問題です。後者だとすると、消費税増税前に法人税を減税すべきだとなぜ主張されているのか、整合性がとれません。まあ、財政再建のためだとしても、法人税減税と整合性はとれないのですが(笑)。ともあれ、今回の消費税増税騒ぎのバックにいると思われる財務省や財界の動き、そして現在の民主党政権の動向から考えるならば、消費税を増税してその分福祉が充実する、という期待は、あらかじめ念頭から排除しておいた方が、国民としては賢明でしょう。

ちなみに、私の前稿を読んで理解してくれた人は、法人税減税で景気が回復する見込みがまったくないことも、容易に理解してくれると思います。というのは、減税された分、従業員の給与に還元される可能性は、現在の日本では限りなく低く、それゆえ個人消費も低迷するからです。これでは設備投資需要は生まれませんし、余ったお金は世界のどこかでバブルを発生させるだけです。そしてバブルは必ずはじけ、また企業の債務超過を生み出します。そもそも、企業の内部留保の拡大(≒賃金抑制)こそがデフレの最大の原因だったわけですから、法人税減税は、財政赤字を増やさない限り、デフレを生み出すのです。

 

さて、消費税を増税すると、何が起こるのか推測してみましょう。過去の増税の時から考えると、増税前のかけこみ需要と、その後の消費の大幅な冷え込みがあるはずですが、一時的な現象であるのと、またその後の効果を計算しづらいこともあり、今回は捨象します。とりあえず、確実に言えることは、貯蓄率が一定であると仮定するなら、消費税を5%増税すると可処分所得が事実上目減りするということです。

たとえば、今、私が10500円持っていたとします。それで、10000円のモノが買えていたわけです。ところが、消費税が10%になると、

10500÷1.10=9545円

しか使えなくなるわけです。

つまり、可処分所得が

(10500÷1.10)÷(10500÷1.05)=95.45%

に減るというのと事実上同じなのです。

さて、そうすると、貯蓄率がもし一定という条件ならですが、個人消費が4.55%減ります。ということは、消費税を5%引き上げると言うことは、個人・家庭向けに商品やサービスを売っている企業の売り上げ(利益でも粗利でもなく、売り上げです!)が、自動的に4.55%減るということです。もちろん、この売り上げ減は、自動的に物流業や卸売業、製造業などに波及し、また設備投資需要も大幅に落ち込ませるので、完全に海外向けの製造業以外、日本経済のほぼ全領域にその効果は行き渡ります。

(このあいだも言いましたが、もう一度言わせてください。利益に対する税である法人税の減税の代わりに、売り上げを自動的に落ち込ませる消費税増税を要求する財界は、朝三暮四の猿より頭が悪いです)。

前稿で見たように、個人消費総額と名目GDPは完全に連動しています。それゆえ、個人消費総額が4.55%減れば、名目GDPもまた、だいたい4.55%程度下落するのです。

さて、売り上げあるいは名目GDPが4.55%減ると、大部分の企業の収益は大幅に悪化します。そして、これが消費税減税の、いわば恒常的な効果であることを(やっとその時点になって)理解し、疑いなくリストラや賃金カット、サービス残業の拡大、非正規雇用への切り替え、などなどによる賃金抑制で対処しようとするはずです。そうすると、さらに個人消費が落ち込み、さらにリストラが進行し・・・このデフレスパイラルが続くのです。

前稿でも述べたように、この賃金抑制と個人消費低迷のデフレスパイラルは、すでに90年代末から少しずつ進行しており、それが日本経済のデフレの大部分の原因でした。そのメカニズムが、消費税増税によって、いっきに増幅するのです。

では、増税後のデフレスパイラルは、どの程度の規模になるでしょうか?ここで、景気後退期に、リストラおよび賃金カットによって、どの程度賃金が抑制されたのかを示す「雇用弾性値」および「賃金弾性値」の過去の統計が参考になります。

雇用弾性値・賃金弾性値

これは、例によって『平成21年度労働経済白書』のp151から採らせてもらいました。90年代末の景気後退期では、GDP1%減につき、賃金総額が0.91%低下したことがわかります。2000-2002年ではそれが1.03%に増えています。これは、非正規雇用の拡大やリストラの合法化による、労働環境や雇用の不安定化が如実に表れています。もっとも、2007年度末からの景気後退過程では、2008年度の末までには雇用減が見られなかったため、雇用弾性値はわずかにマイナスになっていますが、実はその次の四半期から失業率の大幅な悪化が見られており、この景気悪化期全体で1.6%程度上昇していました。GDPの落ち込みがだいたい4%ですので、後退全期間の雇用弾性値は、概算で0.40程度だと思われます。賃金弾性値も引き続き悪化しているので、きっちり計算していないですが、景気後退過程全体では、1.1ポイント程度だったのではないかと推測するのは、おそらく的外れではないでしょう。

引き続き雇用条件が悪化していると考えるならば、次に、数年後、消費税増税で景気が後退したときに、賃金弾性値・雇用弾性値あわせて、1.2ポイント低下すると予測するのが妥当なところでしょう。さしあたり、GDP1%下落につき、給与総額が1年間で1%、次の1年間で0.2%低下する、と仮定してみます。

そして、この賃金低下が、そのまま個人消費の低下に直結すると便宜上仮定します。これはもちろん、現実にはありえないことです。本来は、失業保険の効果、預金取り崩しによる貯蓄率の減少なども考慮にいれないといけないのですが、一方で、賃金カットやリストラに遭ってない人も、雇用不安とデフレのため貯蓄率を増加させる可能性が高いため、計算を簡単にするため、この両者は相殺すると考えます。

さらに、もう一つ考慮に入れなければならないことは、賃金低下によるデフレは、実は98年度からすでに始まっているということです。消費税増税がなくとも、あるいは好景気であっても、賃金は年間わずかずつ減少していっていると、さしあたり仮定しておかないと、正確な予測が困難です。実際、1997年と2007年の名目GDPはどちらも515兆円ですが、給与総額は220兆円から201兆円と、約10%低下しています。とは言っても、これは00年代前半に給与が急激に下がったことを反映しているため、その点を差し引いて、年間0.7%ずつ給与総額は自動的に低下する、ととりあえず仮定しておきましょう。(このあたりの処理方法は、相当に議論の余地があります。)

ついでに、個人消費総額280兆円の内訳ですが、そのうちどの程度、民間給与所得から支出されているのか、それがかなりの難問です。マクロで見ると、日本人の平均貯蓄率はだいたい3-4%(国民経済計算による)なのですが、家計調査によると勤労者家計の貯蓄率は30%前後の高率を保っています。これは、高齢者の預金取り崩しを差し引いても、まったく計算があいません。ので、とりあえず民間給与所得者の貯蓄率を15%と仮定し、280兆円のうち、民間給与家計からの支出が170兆円、残りが110兆円と考えましょう。この110兆円の内訳は、公務員給与と年金(この二つでおそらく70兆円弱)、自営業収入、家賃収入、株式配当、預金取り崩しですが、これらは当然景気変動によっても変わってくるはずですし、年金は増えるはずですが、正確な計算がほぼ不可能なので、全体として、便宜上定数とみなします。

さて、これで準備が整いました。あとは、前稿で述べたように、現在の経済システムにおいて、個人消費と名目GDPがほぼ完全に連動する

具体的には

名目GDP≒個人消費総額÷55.5%

という条件を足して、エクセルで計算するだけです。結果はこちら。

消費税増税シミュレーション2

5年間でGDPが16.0%、10年で21.1%下落しました

 

(以前にTwitterでは5年で18%、10年で27%と書きましたが、なぜ違いが出たのか説明します。前回は、民間家計の貯蓄率を10%と考えましたが、調べた結果、15%の方がより実態に近いのではと推測し、変更しました。また、前回のシミュレーションでは、消費税増税にあわせて、毎年1.0%給与総額が低下させる効果があると考え、それらをあわせて、個人消費低下→翌年の給与総額低下を累乗的に計算しましたが、今回は0.7%定率で低下すると考え、消費税増税の効果のみを累乗化して計算しています。実際のところ、どちらがより正確な計算が可能なのか判断は難しいです。あるいは、この賃金低下を初期値にのみ入れて計算するべきなのかもしれません。いずれにしても、5年予測では、14-17%のGDP減少という結果が出ます。10年予測になると、さらに差が開くのですが、たぶんその頃には経済構造も変わっており、政府の施策も何かしら出てくるか、あるいは完全に大恐慌に突入しているので、この予測には意味がなくなっている可能性が極めて高いです。)

 

しかし、なぜ消費税をたった5%増税しただけで、ここまでのメルトダウンが発生するのでしょうか?たぶん直感的には考えづらいことですが、そのメカニズムを端的にあらわすグラフがこちらです。

消費税増税時の給与総額低下率

消費税増税で個人消費が(前年からの給与総額低下とあわせて)5%下落し、それが給与総額を5%以上削減させ、さらに個人消費の低下が続き、・・・この縮減プロセスが10年以上にわたって均衡化していく様子が理解できると思います。

 

以上が私の定量的なシミュレーション結果です。私が扱ったのは、むろん経済的現実それ自体ではなく、計算を容易にするために単純化されたモデルにしかすぎません。将来的に、私あるいは他の人が、より正確なシミュレーション、より正確な推測を行うために、もう一度、このシミュレーションにおいては、何が捨象され、何が考慮に入れられていないのか、説明しておきます。預金の取り崩しによる貯蓄率の変化は無視していますし、失業保険の効果についても考慮に入れていません。もちろん、その他の景気変動、為替など対外的要因、あるいは政府の施策については予測不能なので、捨象しています。また、最低賃金の効果も考慮していません。

さらにもう一つ考慮に入れていないのは、株価の変動や連鎖倒産、金融恐慌などですし、産業構造の変化も考慮に入れていません。というのは、この縮減プロセスでは、基礎的支出を担う産業についてはあまり影響がないでしょうが、選択的支出を担うサービス業などが、一定の時期を過ぎると持続不可能になり、倒産する企業が続出するでしょう。なので、産業構造も大幅に変化するはずですし、予測よりも失業率はむしろ高くなるでしょう。

また市場の心理的効果も含めて予測してみると、こういう風に事態は推移するんじゃないかと思います。消費税増税前に駆け込み需要があり、その次の四半期で、数十パーセント単位で個人消費が低迷します。ここまでは、市場も最初から予測しているでしょう。その後、ある程度回復しますが、増税前より回復しないため、その時点で経済学者や経営者たちは、消費税増税で個人消費が減ったことに(今更ながらw)気づき、その新たな環境に適応するために、各企業は賃金を抑制します。でも、その合成の誤謬の結果は予想していません。ごく一時的な縮小均衡だと思っていたのに、2年たっても3年たってもGDPが年率2%以上落ち続けるため、市場はその原因を理解できず、パニックになり株価が暴落、金融恐慌の発生、債務超過による連鎖倒産が発生するでしょうし、企業はより一層内部留保を高めようと賃金を激しく抑制し、家庭は自分たちの身を守ろうと貯蓄率を高め、加速度的に経済が急降下する。

まあ、もっとも、海外の投資家は(日本の市場よりもたぶん)賢いため、1997年の消費税増税時とまったく同じ事態が、さらに大規模に起きる可能が、実は最も高いのかもしれません。つまり、消費税増税=財政再建をしはじめて数ヶ月で、これからの日本経済に何が起こるかを予測し、円と株のを売り始め、銀行の債務超過から金融恐慌が発生し、一気に大恐慌に突入するというシナリオです。

発生時期はともかく、この十分に起こりうる大恐慌に対して、政府が何もしない訳もないですが、そもそも消費税を増税してしまう彼らの経済感覚では、適切な薬を投与できる可能性は極めて低いと考えざるを得ません。つまり、あいも変わらず量的金融緩和や法人税減税、財政再建などで対処しようとして、経済を完璧に崩壊させるでしょう。

あるいは、政府が仮に正しい手段、すなわち財政出動をしたとしても、おそらく百兆円規模の支出を迫られるため、かえって財政赤字が増大するでしょう。

 

以上が、私の暫定的な予測です。批判・異論・反論歓迎いたします。私の議論を、消費税増税について、より正確に考える際の、一つの踏み台にしてもらえればと願っています。

2010年7月31日土曜日

消費税増税のシミュレーション 1 メタ理論編

消費税増税で日本経済がどうなるかシミュレーションしてみたので、その根拠と計算方法、そして限界を示しながら説明したいと思います。

先日、Twitterで、消費税増税後5年後、10年後のシミュレーション結果を提示したのですが、多くの人は、私のシミュレーション結果と、経済学者や政府が言っていることとの間に大きな乖離があることに驚いたことでしょう。なぜ、かくもかけ離れているのか、それは経済にかんする理解の相違に基づくわけですが、まずそれを本質的なところからまず説明してみたいと思います。

まず、一国の経済システムは主要な四つのプレイヤーに分かれます。企業・家庭・銀行・政府(日銀含む)、です。企業の内部にも様々な産業があり、それらが(たとえば卸売業と小売業を物流業が媒介するというように)複雑に連関しあっているわけですが、そうしたことを捨象すると、だいたい図のようになります。

国家経済モデル

この図では線はお金の流れを示しています。青い線は、たとえば商品や労働力と引き替えにお金を支払う、実体経済のコアの部分です。言い換えれば、この青の線と逆方向に、モノやサービスが回り続けています。緑の線は、お金の貸し借りをあらわしており、そこには国債購入や年金なども含まれています。赤い線は、税金をあらわしています。この図には、いくつかの要素が欠けていて、たとえば日銀が米国債を買ったり、銀行や企業の海外への資金流出などもあるはずですが、とりあえずその実態がどれぐらいの規模なのか調べていないので、今回は省きました。

この図のポイントは、日本経済の実態にあわせて、あくまでだいたいですが、流通金額と線の太さと比例させて書いているということです。そして、図のようにお金が、時に速くなったり遅くなったりしながら、ぐるぐる回りつづけて自らを再生産する、それが経済システムなのです。

ここからわかるように、私たちの経済システムの中核は、家庭と企業、そして企業間の経済循環であって、その他の取引は、それを補完したり調整したりする、いわば周辺部分なのだ、ということです。たとえば、今の日本のGDPはだいたい500兆円ですが、民間給与の総額が200兆円、個人消費の総額が280兆円です。それに対して、グローバル化とか言われていますが、輸出総額は70兆円、輸入総額は60兆円程度にすぎません。国内での企業間取引もあわせると、海外との貿易は、国内経済の、たった5分の1以下の影響力しかないのです。

あるいは、「みんなの党」などリフレ論者が主張する量的緩和ですが、それは政府・日銀が、銀行などから直接国債を買うことで資金供給しましょう、そしたら「理論上は」お金が溢れてインフレになりますよ、ということです。でも彼らは、2001年からの量的緩和の「実際の」効果の程をあらわすこのグラフについてどのように説明するつもりなのでしょうか? 金融緩和の失敗

このグラフは、リチャード・クー『「陰」と「陽」の経済学』の45ページにあります。量的緩和をおこなっても、民間向け信用は減り続けています。なぜ、理論に反して、このような事態になったのか、リフレ論者は説明できているのでしょうか?もしそのメカニズムを彼らがわかっていないのだったら、今後も同じ政策を採用しても、同じ失敗を繰り返す可能性が高い。普通の人ならそう考えます。

例えば、栄養失調患者の症状を示している患者がいるとしましょう。直感的には、栄養を与えれば栄養失調からは回復できる、と考えます。そこで医者は、ニンニクエキス、うなぎ、などを患者に与えますが、どんどん弱っていきました。そこで医者は「栄養がまだ足りてない」と考え、ニンニク20個、ウナギ10匹で効かなければウナギ30匹、そしてダメなのでスッポンやマムシの生き血を大量に飲ませます。その努力に反して、患者はどんどんと衰弱していく・・・。まさにこんな印象を上のグラフは抱かせます。

この医者の何がダメだったのでしょうか?「思い込みが強いところと、反省しないところ」。確かにそのとおりです(笑)。反論の余地はありません。まあ、理論的な間違いを言えば、栄養を与えれば、自動的に栄養失調が改善されると考え、栄養が吸収されるメカニズムについてまったく考慮していないのが間違いだったのです。つまり、患者は栄養摂取不足ではなく、胃腸が極度に衰弱していたために、栄養が吸収できないのが、栄養失調の原因だった。にも関わらず、医者はどんどん強い食べ物を大量に与えていって、胃腸をさらに衰弱させ、かえって栄養失調を促進していたのです。

まあ、実際にはこんな医者は非常に少ないと思いますが、マスコミに出てくる経済学者はこの手の人間が大部分です。理論によって現実が動いていると信じている。だけど、理論より現実の方がはるかに複雑で、人間には、その全体像を認識することも把握することもできません。その現実をなんとか理解し、予測しやすくするために、現実を部分的に取り出して単純化したのが理論なのです。だから、すべての理論、とりわけ社会理論と経済理論は、それが成立する文脈や経済システムの条件を、常に念頭においておかないといけないのです。(このあたりの話は、カール・マルクス「経済学批判 序説」に書いてあります。)

先のリフレ政策の例で言えば、経済学では、中央銀行の流動性供給とマネーサプライ、そして民間企業への貸し出しが非常に強く連動することになっています。上のグラフをみると、確かに90年まではその連関がはっきり見られます。ですが、それ以後は、この三つの指標が完全にばらばらに動くようになってしまったのです。なぜか。それは、この連動性は、つねに民間の資金需要が存在することを条件としているからです。当たりまえですよね。だって、日銀がお金を銀行に貸しても、企業が銀行にお金を借りなければ、市場には回らないわけですから。そして、リチャード・クーによれば―それは私は明らかに正しいと思う訳ですが―、90年代、多くの企業がバブル崩壊で債務超過になってしまったせいで、お金を借りるどころか借金返済にまわったわけです。今でこそ、ほとんどの企業は債務の返済を完了して綺麗になっているのですが、それでも企業はお金を借りようとしません。クーは、それをバブル崩壊を経験した経営者による借金恐怖症のせいだと主張していますが、僕の考えは微妙に違います。彼がいう、投資不足による「バランスシート不況」のメカニズムは2003年頃に終わっているのですが、1998年から、サービス残業の拡大と非正規雇用の拡大による、給与削減メカニズムが作動しており、それが個人消費不足となってデフレを生み出している。経済全体のパイが縮小し続けているため、投資需要が生まれない。こういうことだと思っています。ともかく、銀行から企業へ、企業から家庭へ、家庭から企業へ・・・こういうお金の流れがスムーズに働いて、初めて金融政策が意味をなすわけです。その経済循環がないのに、銀行をお金でじゃぶじゃぶにしても、企業はそもそもお金を借りようとしないし、どこかでバブルを生み出すだけですし、もしそれでもなお企業がさらに設備投資をしたとしたら、生産性が増大することで、リストラを促進し、かえって需要と供給のあいだにギャップがうまれ、デフレを生み出してしまうのです。それは、胃腸が弱ってる人はあまり食欲がないし、その結果栄養失調になるけれど、でも無理に食べさせるとかえって胃腸を壊して栄養失調を促進するのと、構造的にはほぼ同型です。

経済学者は、理論が現実から抽出された、単純なモデルであることを忘れ、理論それ自体を信じはじめます。そして、現実は理論どおりに動か「なければならない」と考え、現実がもはや理論と整合しなくなっていればいるほど、理論に固執するのです。研究者たるもの、本来は、理論と現実の齟齬こそを、より整合的な理論へと破壊的創造を行うための一つのチャンスであると受け止めなければならないはずです。そのための一つの導きの糸(というのは現実自体は認識ができないので)が、最初にあげた国家経済の再生産モデルです。この図をもう一度みてください。経済学者が精緻に理論化していて、マスコミで「経済学者の知見」として取り上げられるのは、政府から銀行への流動性供給や、政府から企業への公共事業、銀行と企業の間のお金の貸し借り、税制、そして輸出と輸入です。ですが、これらはすべて、はっきり言ってしまえば、どれも多くが10兆円単位の、日本の経済システムの周辺部分にしかすぎないことが見てとれます。もちろん、それらは条件によっては重要な調整機能や逆機能を果たします。だけど、経済システムの根幹は、国内での民間給与→個人消費→(企業間取引→)民間給与という循環であることは、この全体像を見る限り疑いようもないことです。ですが、この領域は、ほとんどの経済学者の認識からすっぽりと抜け落ちているのです。

それにも関らず、実は、00年代以降の日本経済は、まさにこの基底的な循環によって、構造的に強く規定されています。それが、経済学者の解説や予測がまったく的外れになった理由ですし、まさにこのメカニズムの理解によって、消費税増税のシミュレーション結果が、彼らと私の間で決定的に異なる理由なのです。

00年代以降の日本経済が、民間給与と個人消費のサイクルによって強く決定されているということを、まずグラフで示してみたいと思います。年収とGDPデフレーター

まず、一人当たりの年間給与とGDPデフレーターとの相関関係をあらわすグラフです。もちろん、年間給与が左目盛りで、GDPデフレーター(積年)が右目盛りです。だいたい、2002年ぐらいから、給与所得とGDPデフレーターが非常に緊密に連動していることがわかると思います。これは、デフレの構造的要因が、給与が下がる→個人消費が低迷するため、企業が値段を下げる→リストラや賃金カットにより給与が下がる、というメカニズムによって生じていることを強く示唆しています。厚生労働省が発行している平成21年版労働経済白書も、90年代半ば以降のデフレは、このメカニズムによってデフレのほとんどすべて説明できると主張しています(p110)。また、「まとめ」の次の論述は、非常に簡潔で的確です。私の解説と冗長になりますが、引用しておきます。

バブル崩壊以降、我が国の状況は一変した。総需要の停滞は著しく、完全失業率は継続的に上昇するとともに、1990年代末からは物価の継続的な低下がみられるようになった。こうしたもとで、企業は賃金抑制傾向をさらに強め、それがまた消費と国内需要の減少へつながり、さらなる物価低下を促すという、物価、賃金の相互連関的な低下が生じるようになった。総需要が減退し、価格が継続的に低下する状況は、企業の前向きな投資環境として好ましいはずもなく、我が国経済は極めて深刻な事態に直面した。(p212)

「労働経済白書」の論述の明確さに比して、経済学者の論じるデフレ対策のなんと愚鈍なことか。デフレ対策をするならば、まず企業が従業員の賃金を下げ続ける事態に歯止めをかけなければいけない。まして、好況の時にも平均給与を下げ、派遣社員を増やすことで給与総額を抑制していれば、個人消費は増えず、経済は自律回復のしようがない。この自律回復を妨げている原因が、企業の内部留保の拡大、その反面の被害総額年間40兆円にものぼるサービス残業と、非正規雇用の拡大による賃金抑制なのです。(前回のブログで、非常に単純なモデルで、儲けようとした人がかえって収入を減らしたことを思い出してください)。ここにメスを入れなければ、デフレ対策など絶対に不可能です。

さて、もう一つ、個人消費と名目GDPとの関連についてもグラフで示しておきます。

個人消費総額と名目GDP

給与総額と個人消費総額が左目盛り、名目GDPが右目盛りです。これもまた、2001年ぐらいから、驚くほど個人消費総額と名目GDPが緊密に連動しているのがわかると思います。具体的に言うと、名目GDPのうち個人消費が占める割合が、55.5%から56.5%の間で安定しているのです。

念のために言っておきますが、常に「GDPデフレーターと平均給与が連動し」し、「個人消費と名目GDPが連動する」という相関関係が、常に、経済法則という真理であると主張しているわけではありません。そうではなく、ここ10年ちかい日本の経済システム全体の再生産構造においては、この二つの要因が、決定的に日本経済を規定しているおり、そのため近似的に、上記が「経済法則」である「かのように」、私たちの目に映っているだけなのです。

(ちなみに、経済・社会システム論者であったマルクスの労働価値説も、同様の議論です。つまり、19世紀イギリスの経済システムにおいては、労働力の値段と利潤率が市場全体で平準化する傾向にあったため、あたかも投下された労働力に比例して値段が決定される「かのように」見えている、言い換えれば価値法則が成立している「かのように」見える、そのシステム論的なメカニズムをマルクスは「資本論」で示そうとしていたのです。)

では、この二つのグラフの背後にあるメカニズムを、一貫したものとして理解するのはけっこうな難問です。もう一度説明すると、平均給与の低下はGDPデフレーターと連動しています。それは、給与が下がるとモノが売れなくなるため、企業が利益を維持するために、結局給与水準の下落と同程度値下げをせざるを得ない、こういうメカニズムが働いていることが容易に予測できます。その一方で、平均給与が下がり、従業員(ほぼ非正規雇用)が増えているため、民間給与所得は横ばいになっていますが、個人消費はわずかに増えており、それが日本経済を下支えしていたわけです。問題は、個人消費の微増と給与総額の横ばい、この間のギャップをどのようにして説明するかです。どうも様々な要因があるようで、基礎的支出の物価上昇が半分以上を占めることは確かなのですが、その他が説明できません。収入面で言えば、年金が5兆円程度増えているのは確かです。もしかしたら、企業の利益拡大に伴って、富裕層の消費が増えたのかもしれません。

ともあれ、民間給与ー個人消費というサイクルと、経済システムとの非常に強い連関が現在見いだされることは、十分に示せたと思います。この連関が維持されている以上、消費税増税がどのような結果を生み出すのか、ある程度の精度のシミュレーションを示す準備が整ったわけです。具体的なシミュレーション方法とその結果については、次回のアップデートで提示します。

2010年6月7日月曜日

菅直人首相への公開書簡

先ほど、菅直人首相にメールを送付いたしましたしたので、全文アップいたします。あ、ちなみに、面識はありません。

件名 消費税増税は恐慌と財政破綻を同時にもたらす可能性があります。ご再考ください

5月8日の「責任」と題された文章を拝読しました。
確かに、国家財政の問題は非常に深刻な状態にあり、早急に対処が必要です。
しかしその対処法として、消費税増税は、考えうる限りで最悪の選択肢であり、大恐慌と財政破綻を同時にもたらしかねないことを、菅首相には理解していただきたく存じます。

経済システムは、単純化すれば、生産-分配・交換-消費(→生産・・・)サイクルによって成り立っています。
そのサイクルが滞れば、経済は停滞し不況に陥ります。
各種経済指標を見ていると、現在の日本経済のボトルネックは明らかに個人消費です。
その原因は、企業がサービス残業という名の不払い労働を年間40兆円以上に拡大させ、
労働者から消費する時間とお金を奪い、非正規雇用を拡大させることにより、給与総額を抑制しつづけたことです。
このボトルネックを放置しては、日本経済の自律回復はありえません。

消費税を増税するというのは、この個人消費を締め付ける行動です。
消費税をさらに5%アップすることは、給与総額は変わらないので、単純計算で個人消費を4.5%縮小させます。
この消費部門の低下は、生産部門など、他の分野に波及し、連鎖倒産・恐慌を引き起こしかねません。
そうなると、財政収入は思ったより伸びないどころか縮小し、さらに大規模な財政出動を余儀なくされます。
正確なシミュレーションが必要となりますが、最悪のシナリオでは大恐慌と財政破綻が同時に起こるというシナリオまでありえます。
そうなると、日本の経済も社会も、完全に死滅します。
前回、1997年に消費税を増税した後、恐慌になり、、財政出動を余儀なくされ、
かえって国家財政が大幅に悪化したことを考えてください。

繰り返しますが、国家財政の均衡化は非常に大きな課題であり、
それに対して首相が責任感を感じていらっしゃることを、私は嬉しく存じています。
ただ、増税は、経済システムのボトルネックとなっていない余剰部分から取らなければ、
悲惨な結果を生み出してしまう、そのことを日本のためにも、もちろん菅首相のためにも、ご理解いただきたいのです。

なお、このメールは、公開書簡として、私のブログにアップさせていただきます。
あらかじめご了承ください。
http://ishtarist.blogspot.com/
お返事をいただけるのでしたら、その際、ブログへの公開・非公開の可否もご指示いただければと存じます。

大変なご多忙の中、恐縮ではございますが、ご検討いただければと存じます。

2010年6月4日金曜日

政治的決断について。その1

鳩山首相のために

昨日、鳩山首相が退陣表明を行いました。鳩山さんについて、とりわけ普天間問題の県外移設という約束を守ることができなかったという点から、政治家としての資質を問うような言説が流布されています。だけど、僕個人の感想としては、これほどまでに、政治的戦略、そして政治的決断というものの意味を理解している政治家を日本で見たことがありません。他人を思いやり、理想とヴィジョンを語り、なおかつ政治的戦略というものを理解している。彼はオペレーションズリサーチを専門とする理系の研究者でで、スタンフォード大学の博士号を取得しています。そのような偉大な政治家をこのような形で失うことは、僕にとって、そして何よりも日本の将来にとって、あまりにも大きな傷手です。

なぜ、一貫して普天間問題の海外移設を希求してきた鳩山さんが、自らの職を賭してまで日米合意を最優先したのか、その真意は、今の僕には充分に推し量ることができません。私たちが得られる情報から推定するならば、普天間代替移設の海外移設を強行に求めてグアム移転を先延ばしにするよりも、むしろグアム協定で規定されている海兵隊の移転の履行とより一層の負担軽減策により、沖縄の受苦を実際に少しでも和らげる道を取ったのだ、ということでしょう。言い換えれば、名にこだわるより、実を取ったということです。

だけど、それだけでは説明がつかないような何かもまた、存在する気もします。私たちが知ることができない安全保障上の問題があって、そのため現在、日米同盟を最優先せざるを得なかった。おそらくそれは韓国の哨戒艦沈没事件と深く関わっている、そのことを鳩山首相の一連の発言は、強く示唆しているように思えてなりません。

 

いずれにしても、彼の判断がいかなる政治的・権力的・暴力的文脈の下でなされ、どのような意図や戦略があり、またその判断が適切だったのかについて、現時点で僕はこれ以上述べることができません。たぶん、鳩山さん自身が、そのうち自らの言葉で語ってくれるのを待つしかないのでしょう。

5.28日米合意が、微妙ながらアメリカ政府に譲歩を勝ち取っていたにしろ、辺野古という文字が記されてしまったということ、それは抗いがたい事実です。ですが今や、これを鳩山首相自身の意図(裏切り)に問題があった、あるいは資質に問題があった、という非常に幼稚な政治的見解が幅をきかせています。また連立与党の一部の政治家が連立を離れ、倒閣運動を起こすに至っては、彼女たちもまた、単なる主体の意志によって政治的決定が可能であるかのような、観念論的でナイーブな政治感覚を持っているように私には見えた。(僕の思い込みだったら本当にごめんなさい。)だけど、政治的判断とは、単に正しい/正しくないという次元で行われるべきものではない、政治的決断というものは、単にできる/できないとかそういうものではない、と僕は声を大にして言いたいのです。少なくとも、意志によって政治的な決定ができると信じている政治家が、実際に首相の地位にあったとして、鳩山さん以上のことができたかどうか。僕にはとてもそうは思えません。ヴィジョン・目標があったとして、それにむけてどのように戦略を練り、真意を気づかれぬように隠微に行為し、場合によっては相手の弱点を突き、自分の要求を相手にのませるか。そうした非常に高度な戦略的思考をもって相手に対峙して、それでもなおかつ負け、譲歩を強いられることがある。まして、安保マフィア・官僚・マスコミ・党内の反動派・そして国民の集中砲火を浴びている状況で、なおかつ前進しつづける、それがどれほど困難を極めることか。それでもなおかつ、前を向いて歩み続け、身を引くことによって、日本国民を護りながらさらに前進しようとする鳩山首相の政治的決断に、僕は心から敬意を表したいのです。

断言してもよいですが、日本で最も、普天間代替施設の海外移設のために努力してきたのは、鳩山首相です。そして、それでもなお、日米合意に現段階で「辺野古」という文字を記さなければならなかった、そのことに日本で最も責任を感じ、また鳩山首相を責めているのは、鳩山由起夫さん自身だと、僕は確信しています。だからこそ僕は、この文章を彼に捧げたいのです。

他者の政治哲学へむけて

5.28をめぐる情勢と、その後の首相の退陣という、政治戦術的にも僕の心境としても、非常に複雑な状況において、政治的決断とはいかなることなのか、それを現在の文脈とは切り離して、一般論として語りたい、ここ数日そう思っていました。それが、今僕がこの文章を書いているモチベーションです。だけど、僕が言いたいことを、簡潔に説明するのはとても難しい。あるいはそれは、「政治的決断には根拠がない」、あるいは「政治的決断とは、正しい/正しくないの問題ではない」、とひとまず要約できるのかもしれません。だけど、それは盲目になることでもなければ、相対主義的に自己正当化するものでもない。むしろ、政治的決断は、決して自らを正当化することができない、だからこそ決断はなさねばならないのだ、ということです。

たぶん、私が「政治的決断」という言葉で言わんととしていることを本当に理解してもらうためには、「政治」と「決断」という切り離しがたい概念それぞれについて、私の考えを説明しておく必要があるでしょう。

「政治」とはいかなることか。ご存じの方もいると思いますが、ある種の―おそらくは20世紀で最も有名な政治哲学者の―議論において、「政治」あるいは「公共性」とは、他人と共通世界を作り、その中で自らの独自性を証し立てていくこと、と定義されています。そうした行為に意味があるのか、あるいはそもそも原理的に可能かどうか、ということはさしあたりおいておきましょう。だけど、この定義だと本来、別に労働者が仕事終わったあと、パブで野球を見ながら監督論に花を咲かせても、あるいはサラリーマンが居酒屋で職場の愚痴を言っても別に構わないでしょう。その政治哲学者がどう言おうとそんなことはほとんどすべての人間がそれぞれの場所で常にしていることです。でも、そんなものを人は普通、政治とは言わない。少なくとも、政治的であると言われる組織に本質的な何かしらが、その定義からは導き出せない。共=現前という「政治」概念の定義においては、まさに政治の政治たるゆえんが完全に欠如しています。

実際の政治というものは、全く正反対の事柄です。ある組織、たとえば政党や国会、官僚機構などがすぐれて政治的組織であるのは、それがその場にいない人間、その場に現前しえない人間の生活や苦しみ、そしてさらに言えば生と死を左右するほどの影響があるからに他なりません。それは、単に国会議事堂の物理的限界によって数千人以上の人間がそこにどうしても集まれないから、あるいは数万人の人間が同時に話し合うことが事実上不可能であるから、代理として国会議員に決めて貰うしかない、というだけの理由ではありません。たとえば政治的組織は、地球の反対側の災害支援を決定すること、冤罪で死刑になった人の無念の思いを聞き届けて取り調べを可視化すること、あるいはあるいは今後生まれてくる人間に十分な生活保障基盤を与えること。政治組織は、そうした諸々の空間的・時間的・社会的他者の生死に直結する事柄を決定するのです。

逆に、たとえば先の政治哲学者が国会議員になったとましょう。彼女は自分の仕事を、自分のアイデンティティーを証して永遠に名を残すことであると考えており、またその場に現れえない労働者たちを動物として、心から侮蔑しています。彼女が具体的に何をするは知りませんが、自分の名をあげるためだけに、労働者を徴発し、他国と戦争を起こしてもおかしくはない。でもそんな自己中心的な政治観念と傲慢な耳をもつ人間は、是非とも選挙で落とさなければ、社会に非常に有害な結果を招くことだけは確実なように思われます。

政治とは、より正確に言えば政治性の本質とは、他者のために行為すること、そのただ一点にあると僕は考えています。たとえ国民の多くがマスコミに流されやすく、自分で思考する能力が奪われていて、心の中で軽蔑したくなったとしても、それでも彼ら彼女らの幸福を願い、不幸を軽減する道を実現せんとする、そうした想いを失ってしまった瞬間、その人は政治家であることをやめなければならないと思うのです。

先の政治哲学者、ハンナ・アーレントの議論を僕は「現前の政治哲学」と呼んでいますが、その本質的に差別主義的な企て(僕は彼女は本質的にレイシストだと確信しています)とは全く逆方向をむいた、「他者性の政治哲学」を紡ぎ出さなければならない。こうした試みは、デリダおよびレヴィナスの議論と精神を継承することです。私が上に述べたこと、そこにすでにデリダの重奏低音を聴き取った人も多いことでしょう。ですが、デリダの脱構築やレヴィナスの他者論は、一般になぜかある種の相対主義・虚無主義や、ユートピア的な議論であると理解されています。でもそうじゃない。彼らの語る政治や社会とは、まさに私たちがいまこうして紡ぎ出している政治や社会のことを語っているのだということ、そしてこれこそが、実践的な戦略的思考と戦術的行動、そして政治的決断を呼び覚ますのだということ、そのことを私は、自分のいまここの責任において、自らの言葉であなたに伝えたいと思っているのです。

 

続きは稿を改めます。

2010年6月2日水曜日

内田樹「鳩山首相の辞任について」

またブログにアクセスできないようなので、マイミク内田樹さんのmixi日記から転載します。必読です。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1503638862&owner_id=932249

 

鳩山首相が辞任した。
テレビニュースで辞意表明会見があったらしいが、他出していて見逃したので、正午少し前に朝日新聞からの電話取材でニュースを知らされた。
コメントを求められたので、次のようなことを答えた。
民主党政権は8ヶ月のあいだに、自民党政権下では前景化しなかった日本の「エスタブリッシュメント」を露呈させた。
結果的にはそれに潰されたわけだが、そのような強固な「変化を嫌う抵抗勢力」が存在していることを明らかにしたことが鳩山政権の最大の功績だろう。
エスタブリッシュメントとは「米軍・霞ヶ関・マスメディア」である。
米軍は東アジアの現状維持を望み、霞ヶ関は国内諸制度の現状維持を望み、マスメディアは世論の形成プロセスの現状維持を望んでいる。
誰も変化を求めていない。
鳩山=小沢ラインというのは、政治スタイルはまったく違うが、短期的な政治目標として「東アジアにおけるアメリカのプレザンスの減殺と国防における日本のフリーハンドの確保:霞ヶ関支配の抑制:政治プロセスを語るときに『これまでマスメディアの人々が操ってきたのとは違う言語』の必要性」を認識しているという点で、共通するものがあった。
言葉を換えて言えば、米軍の統制下から逃れ出て、自主的に防衛構想を起案する「自由」、官僚の既得権に配慮せずに政策を実施する「自由」、マスメディアの定型句とは違う語法で政治を語る「自由」を求めていた。
その要求は21世紀の日本国民が抱いて当然のものだと私は思うが、残念ながら、アメリカも霞ヶ関もマスメディアも、国民がそのような「自由」を享受することを好まなかった。
彼ら「抵抗勢力」の共通点は、日本がほんとうの意味での主権国家ではないことを日本人に「知らせない」ことから受益していることである。
鳩山首相はそのような「自由」を日本人に贈ることができると思っていた。しかし、「抵抗勢力」のあまりの強大さに、とりわけアメリカの世界戦略の中に日本が逃げ道のないかたちでビルトインされていることに深い無力感を覚えたのではないかと思う。
政治史が教えるように、アメリカの政略に抵抗する政治家は日本では長期政権を保つことができない。
日中共同声明によってアメリカの「頭越し」に東アジア外交構想を展開した田中角栄に対するアメリカの徹底的な攻撃はまだ私たちの記憶に新しい。
中曽根康弘・小泉純一郎という際立って「親米的」な政治家が例外的な長期政権を保ったことと対比的である。
実際には、中曽根・小泉はいずれも気質的には「反米愛国」的な人物であるが、それだけに「アメリカは侮れない」ということについてはリアリストだった。彼らの「アメリカを出し抜く」ためには「アメリカに取り入る」必要があるというシニスムは(残念ながら)鳩山首相には無縁のものだった。
アメリカに対するイノセントな信頼が逆に鳩山首相に対するアメリカ側の評価を下げたというのは皮肉である。
朝日新聞のコメント依頼に対しては「マスメディアの責任」を強く指摘したが、(当然ながら)紙面ではずいぶんトーンダウンしているはずであるので、ここに書きとめておくのである。

2010年5月31日月曜日

普天間問題―まだ何も終わってなどいない。その1

普天間問題に関して、マスコミが基本的な事実関係を報道しないことが主要な原因であろうと思われるのですが、一般に誤解が蔓延しており、また今回の2+2日米合意声明についても、その背景や意味について理解が浸透していないため、ここに書き記しておこうと思います。

一番重要なことは、まだ辺野古に決まったわけではないということです。実際、辺野古の海を埋め立てる現行案の実現はほぼ不可能であり、辺野古に作られない可能性が日米合意にはあらかじめ組み込まれています。また、訓練の県外や「グアムなど」への国外への移転の検討も含まれています。鳩山首相が先日の記者会見でいったとおり、沖縄負担軽減の第一歩、いや半歩が始まったばかりなのです。それにも関わらず、「これで終わってしまった」という国内世論が作られてしまうことは非常に危険です。

まず、この問題のもっとも重要なポイントである、だけど国民には周知されていない、いわゆるグアム協定について説明をしておく必要があります。(Twitter経由で来た人は、聞き飽きた話だと思います。ごめんなさい(笑))。この協定の前段階としては、米軍再編によるグアムの軍事ハブ化にもとづく、2006年5月の「再編実施のための日米のロードマップ」があります。この日米ロードマップを結んだのは、小泉首相および、麻生太郎外相、額賀福志郎防衛庁長官で、そこでは米軍自身都合による再編であるにも関わらず、、「これらの案の実施における施設整備に要する建設費その他の費用は、明示されない限り日本国政府が負担するものである。」という内容が、国会の審議も十分になされず、また国民にも知らされないまま、策定されているのです。

それをうけて、2009年2月に中曽根弘文外相とヒラリー・クリントン国務長官がグアム協定、正式名称「第三海兵機動展開部隊の要員及びその家族の沖縄からグアムへの移転の実施に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」を締結したのです。グアム協定では、普天間飛行場の代替施設が辺野古に設置されることを条件として、嘉手納以南の8000人の海兵隊が、2014年までにグアムに移ることが規定されています。そして、残りの海兵隊のために、辺野古に大規模な普天間代替施設を建設し、かつ米軍のグアム移転予算の大部分である60億ドルを負担するという、控えめに言って不公平な合意内容だったわけです。

そして、さらに信じがたいことなのですが、普天間問題について論じる際、このグアム協定にかんして、主要マスコミはほとんど全く報道してこなかったのです。実際、Googleニュースなどで「グアム 協定」などについて検索すると上がってくるのは、ほとんど5月28日の日米合意時のみです。

なぜこの事実を報道してこないことが問題なのか。それは、グアム協定を前提とすると、

①普天間問題の意味が違ってくる、
さらに
②今回の日米合意の意味が、まったく異なった文脈で見えてくる、

からです。

①沖縄に在留している海兵隊の人数は正確な数が発表されていないのですが、12000人程度と推定されています。そしてもう一度強調すれば、そのうちの8000人がグアムに移転することが決定されているのです。要は、普天間問題のエッセンスは、「沖縄から海兵隊が大部分出て行った後の、普天間基地の代替機能をどうするのか」、ということなのです。この代替機能というのが何なのか、実のところ正確にはわかっていません。ただし、グアム協定を念頭におくなら、単に普天間基地をそっくり辺野古に移す、という話ではありえないことは容易に理解出来ます。

ともあれ、鳩山首相は野党時代、この代替施設は県外に移設可能であると考えていた。たとえば、鳩山首相が沖縄に言ったときの談話で抑止力について述べたときに、「海兵隊が抑止力であるということすらわかっていなかった」という批判がありましたが、この発言はいくつもの事実誤認に基づくものです。第一に、ほとんどの軍事専門家の見解が一致するが、攻撃・占領用部隊である海兵隊は決して抑止力ではない。第二に、海兵隊の大部分はグアムに移転することが決定されていることを、彼らは知らないか無視している。第三に、移転するのはあくまで第三海兵隊であって、抑止力の中核である嘉手納の空軍基地は、さしあたりそのまま残される。第四に、ある意味でもっとも重要な事ですが、鳩山首相はそもそも「海兵隊は抑止力である」とは言っていないということです。

 

わたくしは海兵隊というものの存在が、はたして直接的な抑止力にどこまでなっているのかということに関して、その当時(注:野党時代)、海兵隊という存在そのものをとりあげれば、必ずしも抑止力として沖縄に存在しなければならない理由にはならないと思っていました。ただ、このことを学ぶれば学ぶにつけて、やはり、パッケージとして、すなわち海兵隊のみならず、沖縄に存在している米軍の存在全体の中での海兵隊の役割というものを考えたときに、それがすべて連携していると、その中での抑止力というものが維持できるんだ、という思いに至ったところでございます。それを浅かったと言われればその通りかもしれませんが、海兵隊に対する、存在のトータルしての連携の中での重要性というものを考えたときに、すべてを外に、県外あるいは国外に見いだすという結論には、私の心の中に、ならなかったと、いうことであります。

私は、仮にも研究者のはしくれ、特に厳密なテクスト解釈のエキスパートとして言わせてもらうと、鳩山首相が「言葉が軽い」というのは明らかに間違いです。彼は、理系の研究者らしく、非常に言葉を厳密に、選択して使用しており、それを丁寧に読めば真意がわかるようになっているのです。それを読みとれないで、適当な、かつ誤った解釈をしたあげくに、「迷走している」とマスコミは言っているだけで、迷走しているのはマスコミの方ではないでしょうか。

ともあれ、以上の鳩山首相の発言を「海兵隊が抑止力だと思わなかった」と要約するのは、明らかに間違いです。あえて要約すれば、「海兵隊の機能の一部に、他の在沖部隊と連携している部分があり、それだけは県外に出すことは、抑止力の観点からできない。」と言っているのです。そして、この機能とはいかなるモノか、野党時代は知らず(実際ほとんどの軍事専門家の「海兵隊はそれ自体では抑止力ではない」という認識と一致しています)、かつこの発言以降も全く触れていないことから、この「機能」が首相でしか知りえない機密事項であることさえ読み取れるのです。実際、ここで鳩山首相が言ったことは、軍事機密であったことを、後で本人が言っています。

この発言を捉えて、鳩山は「海兵隊が抑止力であることすら知らなかったのか」と批判する自民党側の人も、また「そもそも海兵隊は抑止力ではない」と批判する海外移設主張派も、読み間違えています。では、他の部隊と連携している、県外に移設できない機能とはなんなのか?ここから先は憶測でしかありませんが、内田樹氏は、私が先日緊急避難用に転載したブログ「「それ」の抑止力」で、核兵器ではないかという推測をを仄めかしています。また、元菅直人の政策秘書でありフリージャーナリストの松田光世さんはTwitterで、県外移設が不可能な普天間基地の隠された機能とは、嘉手納空軍基地のバックアップ機能―嘉手納を飛び立った米軍機が、嘉手納が攻撃されても 無事に戻れるようにする―というものであると明言しています(普天間日米交渉の行方・5月末の期限の意味~~@matsudadoraemonつぶやき編集)。

県外移設できない機能がなんなのか、日米政府ともに全く公表していない以上、それがどのような機能で、どの規模の施設が必要なのか、はっきりとはわかりません。それが単なるバックアップ用の滑走路なのか、それとも現行案のような、新たな大規模な基地なのか、それもわからない。ともあれ、もう一つ鳩山首相の発言から読み取れることは、どうしても県外に移設できない隠された機能以外の普天間基地機能の大部分は、県外・国外に移設可能であるということです。これは鳩山首相が実は一貫して言っていることなのですが、全く理解されていないことです。グアム協定について全く報道しないマスコミの論調からすれば、日本国民の大部分が、政府案を普天間基地をそのまま辺野古にもってくるという話であると信じ込んでいても仕方がないでしょう。

もう一つ重要なことは、現在日米間で協議されているのが、普天間移設にとどまらず、沖縄県の基地全体としての軽減負担であるということです。たとえば、鳩山首相が5/27に全国知事会議に依頼した訓練の県外負担は、そもそも沖縄県全体が負担している訓練の分散です。それは、今回の日米合意を読めば理解出来ます(日米合意については、次期のアップで論述する予定です)。にも関わらず、マスコミは鳩山首相が「普天間移設問題にかんして」の「訓練移転」を求めているといった誤った報道を行うことで、普天間移設に関する合意期限の五月末のぎりぎりになってまで迷走している鳩山首相というミスリーディングな印象を作り出すばかりか、鳩山政権による沖縄県民負担の軽減という真摯な取り組みをおそらくは意図的に無視し、踏みつぶそうとしているのです。

とても大切なことなので、もう一度言います。マスコミは、広い意味での普天間問題について、事実に基づく正確な報道を行っていません。先日、NHKのこどもニュースで、普天間問題の解説をしていましたが、見ていて腹が立ちました。グアム協定の話を完全にすっ飛ばして、普天間基地を辺野古に移すという話をして、「約束を守れない鳩山首相は困ったものだ」という論調で終わっていました。大人が騙されるのは、本人の情報収集能力および知的能力の問題もあり、ある意味で自業自得です。だけど、文字を読むのが困難なため、自分で情報を調べることができず、その情報を自分で判断することができない子供に、嘘を教えるのはやめてほしい。悪質きわまりない。

詳述は面倒なのでしませんが、今思いつく限りで報道されていない話を列挙します。

  • 「辺野古で決まっていたのに、鳩山が潰した」という言いぐさも、まったく間違っています。そもそも普天間返還と辺野古基地の新設が決定した1996年のSACO合意では、2001年から2003年には、普天間基地は返還されていなければならなかったのです。それが現在に至るまで杭一本打てなかったのは、激しい反対運動があったからです。要は、自民党政権下において、普天間問題はすでに膠着状態だったのです。
  • そもそも辺野古埋め立てをする現行案は、アメリカの環境団体が提出した「ジュゴン訴訟」で米政府が、中間報告で敗訴しているため、ほぼ不可能な状況となっています。(米国でのジュゴン裁判、保護団体勝訴・問われる日本のアセスメント)。だけど、今回の普天間問題に関して、ジュゴン訴訟について論じた大マスコミは、私が知る限り皆無です。
  • 海外の有力な移設先として、テニアン議会が満場一致で、日米両政府に基地の誘致を求めているのですが、それを報道したのは朝日新聞だけで、それもTwitter上で指摘を受けてからの話です。しかも「日米両政府は非現実的という見解」という内容のタイトルをつけての上でした。

ともあれ、以上の事実関係を前提にしないと、今回の日米合意の意味を理解することもできませんし、その件に関する鳩山政権の評価もできないはずです。なのに、マスコミは基本的な事実を報道せずに、すべてを鳩山首相の責任としてなすりつける論調を作り上げた上で、鳩山政権についての世論調査ばかり繰り返しています。

つい先ほど、愛媛新聞社が「抑止力のわな」という記事で、「きのうの日米共同宣言で、急に実働部隊のグアム移転をにおわせたのも不自然だ」と書いていて、仰天しました。急にって、おい(笑)。僕はこれまで、マスコミが事実関係を知った上で、それを意図的に隠蔽しているのだとばかり思ってたし、上でもそのように書いてきました。だけど、この論説を見る限り、どうも記者はグアム協定について、本当に当日までなにも知らなかったらしい。グアム協定という一番根幹の事実について知らないのなら、マスコミをやめた方がいい。

②の日米合意については、次回書きます。