2017年10月27日金曜日

松尾匡氏による書評:『人権の経済システムへ』

私の著書『人権の経済システムへ   サビ残ゼロ・最賃アップ・消費税3%が開く新しい社会』(Amazonオンデマンド出版)に関して、経済学者・立命館大教授の松尾匡氏から長大な書評をいただいたので、許可を得て転載させていただきます。

経緯を簡単に説明すると、7月にnoteでこの論考をリリースしたときに、松尾さんに購入いただき、分析内容と提言政策にほぼ全面的に賛同する旨のメッセージをいただきました。今回、Amazonで出版するに当たって簡単なコメントをお願いしたところ、思いもよらずA4で12枚にも及ぶ長大な書評をいただきました。

あまりにも長いので、松尾氏からいただいた短縮版を最初に掲載し、そのあと全文を掲載します。

この論考「人権の経済システムへ」は、供給サイドに偏する日本の主要な経済論壇の状況をするどく批判し、総需要サイドの視点からの対案を提起するものである。著者は、「エキタス京都」の関係者である。この運動体の中から、このような論調の議論が世に出てきたことを、心から歓迎したい。  

「エキタス」関係者の議論だから、当然最低賃金引き上げが処方箋である。しかしこの論考で重要なのは、それが、いわゆる「サービス残業」の廃絶および消費税率の引き下げとセットにして提唱されていることである。この三者がセットになっていることには必然性がある。それが、日本経済衰退と労働者の貧困・疲弊の原因が総需要不足にあるという著者の認識から導かれるのである。総需要不足なのに、供給サイドばかり見る左右の経済政策が、事態の悪化を促進させているとされていて、著者の提言はその構造を断ち切る対案となっている。


「人権の経済システムへ」レビュー

松尾 匡

 評者もしばしば強調してきたことだが、経済学には供給サイドを重視するものと、需要サイドを重視するものがある。新自由主義政策のバックボーンになっている新しい古典派経済学は、前者の供給サイドを重視するものである。それに対して、欧米反緊縮派の政策のバックボーンのひとつになっているケインズ派経済学は、後者の需要サイドを重視するものである。

 新しい古典派が供給サイドを重視するのは、市場メカニズムがスムーズに働いて需要不足は速やかに解消され、供給能力どおりの生産が行われるとみなしているからである。この場合経済成長とは、生産性を高めて供給能力を増やしていくことを指す。規制緩和などはそのために主張されているものである。

 しかしケインズ派経済学からは、それに対して、いくら生産能力を高めても、世の中全体の財やサービスを買おうとする力=「総需要」が少なかったなら、実際の生産はそれに合わせて少ないまま、雇用も少ないままだとする批判がなされる。むしろ、生産性を高めたら、なけなしの需要に合わせた生産に必要な労働がさらに少なくてすむのだから、雇用は減ってしまう。この立場からの経済成長とは、総需要を拡大することによって、それに合わせて財やサービスの生産を増やし、失業者を減らしていくことを指す。

 前者の、供給能力の拡大を掲げる「成長戦略」は、小泉構造改革のスローガンからアベノミクス「第三の矢」に流れ、「希望の党」「維新の会」の看板政策(「規制緩和」「規制改革」)にも生き続けている。「第三の矢」の「成長戦略」など、労働規制緩和にせよ特区にせよ、庶民の立場からは「もうたくさん」というものばかりなのに、マスコミの論調はもっぱら、この意味での「成長戦略」が足らないと言うものばかりである。まだ消費需要の拡大が弱く、十分にデフレ傾向を抜けていない中では、人々の雇用不安を解消するためにも、むしろ総需要を成長させる政策こそが必要なのに、それに対しては、近視眼的な小手先の政策であるかのような扱いが目立つ。むしろ、あきらかに消費需要を抑制するはずの消費税率の引き上げを支持する社説ばかりである。

 これはマスコミばかりではない。マルクスの『資本論』の失業分析がもっぱら、正常に稼働された資本の、労働節約的技術変化や蓄積減退に帰因させるもので、総需要不足による過小稼働にともなう失業が考察されていないことは、この本の分析目的が資本主義経済システムの長期的な再生産構造とその持続可能性の検討にあることを考えれば適切だろう。しかしマルクス経済学者がその前提を忘れ、生産能力どおりの生産を前提した『資本論』の議論のまま経済停滞を論じていては、総需要拡大政策が提唱できないのも当然である。また、エコロジー系論客にとっては、供給制約こそ問題意識の焦点だから、やはり総需要の方が過小で生産の制約となる事態は認識しにくい。

 このような知的背景のもとで、日本の左派、リベラル派の世界では、総需要拡大政策への言及が弱く、語るとすれば長期の産業支援政策などの話が中心になりがちである。むしろ、日本の長期不況を、少子化などによる供給能力の停滞がもたらした必然とみなし、総需要の拡大によって解消できるものとみなさない論調が力を持ち、若者をはじめ雇用不安に怯えるおおくの人々を安倍自民党の支持へと追いやっている。

 すなわち、左右の主要な経済論調がともに、供給能力サイドの視点にのみ偏重して、需要サイドの視点を欠落させてきたために、雇用の不安と低賃金に苦しむ多くの人々のニーズを汲み取れなくなっていたと言える。

 評者は以上のような認識から、日本の左派の中に、総需要サイドを重視した経済政策体系を提唱する論者の影響がもっと強まることを期待してきた。左派系の運動の中でも特に、最低賃金引き上げを主張する運動「エキタス」については、その社会的意義は大きいと考え、評者が提唱する認識に立つように願ってきた。

 この論考「人権の経済システムへ」は、以上に述べたような日本の主要な経済論壇の状況をするどく批判し、総需要サイドの視点からの対案を提起するものである。著者は、「エキタス京都」の関係者である。この運動体の中から、このような論調の議論が世に出てきたことを、心から歓迎したい。

 「エキタス」関係者の議論だから、当然最低賃金引き上げが処方箋である。しかしこの論考で重要なのは、それが、いわゆる「サービス残業」の廃絶および消費税率の引き下げとセットにして提唱されていることである。この三者がセットになっていることには必然性がある。それが、日本経済衰退と労働者の貧困・疲弊の原因が総需要不足にあるという著者の認識から導かれるのである。総需要不足なのに、供給サイドばかり見る左右の経済政策が、事態の悪化を促進させているとされていて、著者の提言はその構造を断ち切る対案となっている。

 著者は、上野千鶴子の議論に典型的に見られ、民進党のブレーン(だった?)井手英策にも見られる傾向の論調を、「みんなで痛みを分かち合って衰退を受け入れる」社会モデルと呼んで批判する。そして、民進党のオール・フォー・オールの考え方について、「年収2000万円の人間から400万円を徴税するということと、年収200万円の人間から40万円徴税することとは、命の重みという観点では決定的に異なる」と指摘し、「民進党が言っていることは、三食ろくに食べられない独身派遣社員の口から食べかけのカップラーメンを奪いつつ、「将来あなたに子どもができたら教育費を無償にしてあげるから安心でしょ」と言いくるめるようなことではなかろうか」と言う。

 著者は、リベラル系に見られがちなこのような議論に対して、「経済を救うことは、ひとの生命を救うことである。それを非現実的だと言って簡単に諦めるとすれば、そのような政治に存在意義はない」と評しているが、全くそのとおりである。

 他方で著者は、安倍政権が推進する「人づくり革命」と「残業代ゼロ法案」を、「ブラック経済」の推進と合法化の企みとして批判する。

 そしてこうしたリベラル側の経済衰退論と安倍政権の労働政策には、「深い共通点」があると指摘する。それは、「働けば働くほど、経済が発展する」というパラダイムだと言う。労働強化して経済発展しようとするのか、労働生産性上昇も労働力人口増大も無理だから衰退を受け入れようとするのかの違いで、前提は同じだというのである。

 これを著者は批判し、本当の因果関係は、「日本人は働き過ぎだから経済衰退している」のだと言う。鍵は「有効需要不足」である。総生産が需要不足の制約を受けて増やすことができないところに、労働投入を増やしたならば、当然労働生産性は低下する。働けば働くほど日本経済は貧しくなる。

 そして曰く。「なぜ日本人は消費しなくなったのか。若者が無欲になったためだとか、将来不安のためだとか言われているが、それが的外れな指摘であることは当の若者が一番よくわかっている。ごく単純に、手持ちのお金がないからだ。」その通り!

 著者は給与総額と名目GDPの極めて高い相関を示し、賃金が上がれば消費需要が拡大して日本経済は復活すると言う。これは、逆因果を計測している可能性も高いのだが、それはこの際重要なことではない。賃金分配率が抑制されていることが消費停滞の原因であることは誰も否定できないだろう。

 こんなふうになっている主要な要因として、世上よく言われる「格差社会」という問題についても、それが正規・非正規の格差を指すものとしては、著者は疑問を呈している。非正規の低賃金や労働条件ももちろんひどいが、著者は、日本の正社員がいかに過酷に働かされているかを詳細なデータで示す。サービス残業による労働者の損失は、年26.8兆円にのぼると言う。

 それに対して著者が示す要因は、1997年から98年にかけて起こった、本格的デフレ不況への突入である。これ以降、デフレ不況の深化と、非正規化・賃金低下・労働のブラック化との双方が、相互に因果スパイラルを起こして深刻化していったことが論証されている。「サービス残業がサービス残業を生み、給与低下がさらなるリストラを生む。そうして個人消費がどんどん低迷して経済が低迷する、この地獄の「過労デフレスパイラル」に日本は20年間とらえられている」と言う。著者の指摘どおり、このデフレ不況への突入の重要な一因が、消費税の3%から5%への引き上げにあったことは言うまでもない。

 このような状況に対して、安倍政権が企てる労働強化政策は、事態を悪化させるだけだとする。また、民進党が企てた消費税の引き上げも、「可処分所得を目減りさせる消費税増税によって、個人消費低迷と給与カットのデフレスパイラルが加速することは疑いない」と斬って捨てる。「経済をこれ以上崩壊させて、どうやって社会保障制度を維持することが可能となるのだろう」と。全くそのとおりである。

 著者による、最低賃金大幅引き上げ・サービス残業廃絶・消費税率引き下げの三点セットは、以上のような現実認識をふまえ、この負のスパイラルを逆回ししたプラスのスパイラルをもたらすものとして構想されている。最低賃金引き上げの結果、「賃金が底上げされた分、個人消費が増えて、全体としては企業の売上げが上がる。そうしてまた雇用が増え、給料が上がる」とされているのだが、それはサービス残業廃絶と組み合わせなければならない。

 というのは、サービス残業廃絶なしの最低賃金引き上げは、ブラック正社員化を進めるだけとされる。逆に、最低賃金引き上げなしのサービス残業廃絶は、正規雇用の非正規への取り換えを進めるだけで、ともに消費需要の拡大にはつながらないと言う。

 また、最低賃金引き上げを法的に強制するだけでは筋が悪く、「労働力の需給を逼迫させれば、自ずと賃金水準は全体に上がるはずだ。」サービス残業を廃絶すれば、大量に労働需要が増える。残業代の増加から消費需要が増えるので、やはり景気がよくなって労働需要が増える。このことから、労働市場が逼迫して賃金が上昇する。正社員数が増えるので、非正規の労働市場の労働供給が減ってそこでも賃金が上がる。このように言う。

 しかし、現在急進的にこれらの改革をしても、「企業の資金繰りが悪化し、連鎖倒産する危険性がある。」そこで著者がセットで提唱するのが、消費税率の3%への引き下げである。消費需要が拡大して企業業績が上がる。さらに一定規模以下の企業への消費税支払い免除、「社会保障費の負担軽減や、人件費の融資・立替払いなど、さまざまな政策パッケージが考えられる」とするが、いずれも、最低賃金引き上げ・サービス残業廃絶とセットにしてこそ意味があり、それなしには企業支援が景気一般の底上げにつながることはないとする。

 以上がこの論考の主張の概説である。評者は以上示した議論の筋について、何も異論がない。全くそのとおりであり、心強く思う次第である。実際に示されている消費税率や最低賃金の目標数値や実現スピードについては、今後データを精査して少しでも正確な算定をすることをお互いの課題としたい。

 以下では、いくつか補足の説明と提案をしたい。

 まず、最低賃金引き上げがなぜ景気拡大に貢献するかということについて、一言補足したい。

 現在行われている「インフレ目標政策」が目指しているのは、借金が将来目減りする予想を人々につけることで、設備投資や住宅投資、耐久消費財購入を促し、総需要を拡大することである。しかし、設備投資の主体である企業にとっては、売値が上がれば借金が目減りするかもしれないが、住宅投資や耐久消費財購入の主体たる一般労働者にとっては、賃金が上がらないと借金は目減りしない。今、多くの人は、将来賃金が上がる予想をあまりしていないと思うが、一般物価が上がる予想だけして、賃金が上がる予想をしなければ、一般労働者は将来に備えてかえって貯蓄を増やして消費を抑えてしまい、総需要拡大の足がひっぱられてしまう。

 だから、住宅投資や耐久消費財投資にもこの効果が及ぶためには、将来賃金が上がっていく予想を人々が抱かなければならない。最低賃金は法定すればいいのだから簡単である。将来に向けて一定率で上がっていくスケジュールを公定すればいいのである。

 最低賃金が上がれば、企業は同じことをさせるのに非正社員を雇うメリットが減るので、正社員化が促進される。そうすると、正社員の労働需要が増えるので、正社員の賃金も上がっていくことが予想されることになる。

 それから、当面まだ景気拡大が十分でない間、最低賃金を大幅に上げたときの、中小企業の資金繰り支援の問題であるが、著者の示唆した「人件費の融資・立替払い」については、政策金融公庫債を日銀がほとんどゼロ金利で買い入れた資金を使って、政策金融公庫が中小企業に超低金利で融資するスキームを提案したい。なおこれはサービス残業廃絶でかかる残業代の支援のためには使うべきではない。残業代を払うことよりも、残業をなくす方が促進されるべきだからである。

 一般に、賃金が上昇したら、企業が同じプロジェクトへの投資をするために借りるべき資金額が増える。すると、日銀が十分な金融緩和をし ていないと、金利が上昇して断念される設備投資が発生する。そうなると、総需要拡大の足が引っ張られる。だから、最低賃金の大幅引き上げは、十分な金融緩和とセットで行わなければならない。 

11 件のコメント:

  1. 松尾氏は
    >供給サイドばかり見る左右の経済政策
    などと書いていますが、本当に各党の政策を見ているのでしょうか?
    共産党や社民党は最低賃金の上昇や労働環境の改善はとっくに主張していますよね。

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  2. 「共産党 社民党 金融政策」で検索すればわかりますが共産党と社民党は金融タカ派です。
    総需要拡大政策=拡張的財政政策(減税、政府支出増大)+拡張的金融政策(金利下げ、貨幣供給量増大)なので金融タカ派の政党は選択肢になりません。

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    1. 実川さん
      たとえば共産党は異次元緩和(マイナス金利)の見直しについて言っていますが、これはスティグリッツ教授らの見解と変わらず、金融タカ派とはいえません。
      このように、実際の政策を見ずに藁人形を叩くような行為をするから、松尾氏の言動は信用されないのです。

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    2. また野党の金融政策に同意できなかたっとしても、それは
      >供給サイドばかり見る左右の経済政策
      とはまったく意味が違います。
      こんなほとんどデマゴーグのような言葉遣いをしていては、松尾さんは自ら信頼をドブに捨てているようなものです。

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  3. 異次元緩和の見直しこそ金融タカ派の所作ではないですか。
    マンデルフレミングモデルで考えますと金融緩和無き財政政策=金利上昇+輸出減ですので総需要拡大に反します。
    やはり共産党や社民党は選択肢になりません。

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    1. 異次元緩和(マイナス金利)を見直すということと、金融緩和しないということとは全く違います。異常な条件の緩和だから「異次元」緩和というのであって、通常の緩和条件はいろいろあるのです。そういう誤った言葉で政策を語る人は安倍首相同様、信用できませんね。

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  4. 共産党が批判をしているのはマイナス金利だけではありません。
    『2017総選挙/各分野の政策 15金融』では国債の金利低下や買いオペも批判しています。
    金融政策=金利政策+公開市場操作ですから、共産党は日銀の緩和策すべてを批判しているのです。
    社民党も『衆議院総選挙公約2017』で貨幣供給量増大と買いオペを批判しています。
    総需要拡大という事で考えれば、やはり共産党と社民党は選択肢になりません。

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  5. ishtaristさま
     このたびは、ご新著お送りいただきまして、誠にありがとうございました。大変意義深い本が無事世に出されましたこと、およろこびもうしあげます。たくさんの人に手にとってもらえることを望んでいます。

     拙評、ブログでおとりあげいただきましたことも、ありがとうございます。光栄に思い、深く感謝いたします。
     ところが、私の表現の拙さのために、ご本の内容について誤解を受けかねないこととなっておりまして、大変心苦しく思います。ご厚意が裏目にでることになり、もうしわけありません。
     私自身は誤読で叩かれることには慣れておりますのでいいのですが、ご本の内容について貴ブログ読者のみなさんに誤解が広がることは、ご迷惑なことと思い、たいへん恐縮ですので、以下、貴ブログ読者のみなさんに説明をさせていただきますことを、お許しください。

     拙評中、「供給サイドばかり見る左右の経済政策が、事態の悪化を促進させているとされていて」とあるのは、このご本のご議論を私が要約したものですが、もとより、著者のishtaristさんが、共産党や社民党のことに(否定的にも肯定的にも)言及しているわけでは全くありません。著者が直接批判なさっているのは、上野千鶴子さんや井手英策さんや民進党の「みんなで痛みを分かち合って衰退を受け入れる」路線です。
     このことは、拙評をお読みいただけたら、文脈上ご理解いただけるものと思いましたが、まだまだ文章力が未熟であったと恥じ入るかぎりです。読者のみなさんにはどうか誤解のないようにお願いいたします。

     右派論客の中にも、総需要拡大派は安倍さんの熱心な支持者はじめ、数多くいることは誰もが周知のことと思いますが、にもかかわらず、「供給サイドばかり見る左右の経済政策」と表現することには、文脈上何も矛盾はないと思います。同様に左派の中に総需要拡大があったとしても、もとよりここで批判している対象には入っていないことをご理解いただきたいと思います。「デミグラスのオムライスはおいしくない」と言ったからといって、オムライスがすべてデミグラスになってしまっていることを述べているわけではないのと同じです。


     もちろん、経済衰退不可避論の論調は、共産党や社民党の支持者、活動家の中にも、リーダー層の中にも、少なからず広がっているのは間違いないことだと思います。それは実際に経済政策を打ち出す際に、派手な景気拡大策を前面に打ち出すこと——それは有権者の支持を安倍自民党から奪うための鍵だと思います——に対する制約になってきたように思います。
     それゆえ、ひとり民進党のみならず、広く「左右」と表現して、このような論調が左派陣営内で力を弱めるように批判を進め、左派政党が今よりもずっと総需要拡大政策を前面に押し出すよう促すことは、必要なことと思っております。
     このご本も拙評も、こうした立場からの議論であることをご理解ください。

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  6. 松尾先生に質問です。

    〈逆です。賃金が上がればインフレになりますよ。貨幣を増やしてもインフレにはなりません。〉(馬。 @ishtarist 午前1:54・2017年11月8日)と件のご本の先生がツイッターでご発言していたのですが、貨幣を増やしてもインフレにならないというのは本当ですか。また、貨幣を増やさずに最賃引き上げの前提である金利引き下げを実現する方法はありますか。

    ご多忙のところ誠に恐縮ですがお答えいただければ幸いです。

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  7. 実川さま

     ご質問いただきましてありがとうございます。お書き込みに気づかず返事が遅れましてすみませんでした。

     物価は、結局は、財やサービスの全般的な需給関係で動くものです。貨幣を増やしたとき、増えた貨幣が財やサービスの全般的な需要に向かえば物価は上がりますし、貨幣のままためこまれるなら物価は上がらないという、それだけのことだと思います。

     賃金はすべての財やサービスのコストですので、賃金が上がれば、元の価格のままでは採算のとれない企業は生産できなくなって、供給が減ります。力のある大企業は、上がったコストに望みの利潤を上乗せした価格をつけても売れるところまで、供給を減らします。だからさしあたり、全般的に需要に比較して供給が減って、物価が上がります。
     さらに、上がった賃金が大衆の需要になり、あるいは創出された貨幣が大衆の購買力になれば、経済全体に生産拡大の余地があるならば、引き続きマイルドな価格上昇で生産が増大することになります。

     ただ、生産性が上昇して、賃金が上がってもコストが上がらず、元の価格のままで十分な利益が得られるならば、必ずしも物価は上がらないでしょう。(生産性上昇が大きいならば、総需要が十分増えなければ、かえって物価が下がるかもしれません。)

     また、増えた賃金が消費需要の増加にまわり、大衆の消費財の価格が上がって、その生産が増えていく一方で、利潤が減るために、設備投資財などの需要が減ってその価格が下がるということがあるかもしれません。この場合には、価格が上がる財と下がる財があるので、一般物価は上がるとは言えません。(これは労働者にとって望ましい分配の変化と言えるので、物価が上がらないからダメだとは言い切れません。)

     賃金上昇の結果、物価が上がった場合も、同じことをするプロジェクトへの投資資金の金額が上がりますので、実質設備投資を減らさないなら、貸付の金額は増えるので、いずれにせよ貨幣は増えないといけません。
     中央銀行がそれを望まないならば、設備投資がその分断念されるところまで金利が上がることになります。この場合は貸付は増えないので貨幣は増えないわけです。

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  8. 松尾先生、お答えいただきありがとうございます。

    「マネーサプライを増加させても人々が貨幣のままためこめば物価は上がらない」「貨幣を増やさなければ金利が上がる」という事はマイルドな物価上昇を狙うなら、金利を下げるための金融緩和と民間部門に支出を促すような積極財政、アンカーとしてのインフレターゲットという洗練されたケインズ政策が必要ですね。

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