2016年7月1日金曜日

塩崎厚労大臣が語っていた、ブラック企業合法化法案の本音

参院選後に通過する見込みの労働基準法改正案について、「ブラック企業合法化法案」が目的であると前回書きました。http://ishtarist.blogspot.jp/2016/06/blog-post.html#more

そうしたら案の定、「高度プロフェッショナル制度をブラック企業合法化だと解釈するのは無理がある」、という感じの反応がありました。

さて、その制度がどのような目的なのか、については、私たちが詮索するより、当事者に語ってもらいましょう。それでは、塩崎厚生労働大臣、よろしくお願いします!

高度プロフェッショナル制度はまあ、1千万円以上もらっている人って、実は働いている人の4%くらいしかいないんですね。そのうちの1・5%は役員ですから、残り2・5%でそれも希望者だけとなればものすごく少ないところでスタートするんですけど、まあ、我々としては小さく産んで大きく育てるという発想を変えて、まあ、時間法制ではかからない、労働時間法制はかからないけど、健康時間ということで別の論理で健康はちゃんと守って、だけどむしろクリエイティビティを重んじる働き方をやってもらうということで、まあ、とりあえず入っていくので、経団連が早速1075万円を下げるんだといったもんだから、まああれでまた質問がむちゃくちゃきましたよ。

 ですから皆さん、それはちょっとぐっと我慢して頂いてですね、まあとりあえず通すことだと言って、合意をしてくれると大変ありがたいと思っています。(ブラック企業被害対策弁護団 http://black-taisaku-bengodan.jp/siozakihatsugen/)

これは法案提出勅語の2015年4月20日、日本経済研究センターの「会員会社・社長朝食会」において100人の財界人を前に語った音声だそうです。

なぜこのような発言をしたかというと、4月6日に榊原経団連会長が記者会見で、

制度が適用される範囲をできるだけ広げていっていただきたい

実効性あるものにするには、(1075万円以上の)年収要件を緩和し、対象職種も広げないといけない

少なくとも全労働者の10%程度は適用を受けられるような制度にすべきだ。

(「年収1075万円以上」の要件緩和を 「脱時間給」めぐり経団連会長 : J-CAST会社ウォッチ http://www.j-cast.com/kaisha/2015/04/13232901.html

経団連会長の「残業代ゼロ制度の対象を広げてほしい」発言に、労働者から悲鳴http://irorio.jp/nagasawamaki/20150407/219526/)

といった発言があり、それに対する反発が大きかったようです。

そこで塩崎厚労大臣はたまらず、「みなさんの要求はわかってますし、私たちも同じ思いです。国民感情を荒立てずに合意を作っていくために、お願いだから目立つ発言は控えてください。あとから対象者を大きく拡大していきますから。」とお願いしたということです。

今は私たちに影響がないのだから、そのときに反対すれば良い、って思う人がいるかもしれません。でも、国会での議論なしに年収要件を少しずつ下げられて、1000万円を900万円にする厚生省令が出されたとき、私たちは反対するでしょうか?900万円が800万円になったら?・・・そうやって500万円が400万円になったら?あなたはいつ反対しますか?

私は、今反対します。ゆでガエルの実験台になる前に、釜に放り込まれる前に声を上げたいとおもいます。

2016年6月30日木曜日

アベノミクスの本丸、ブラック企業合法化法案がやってくる

 

安倍政権が狙うブラック企業合法化

7月10日の参議院選挙の争点を、自民党は「アベノミクス」であると言っています。それに対して、リベラル・野党連合はそれはまやかしであって、本音は「憲法改正」であると考えています。確かに、日本国憲法の廃止は、安倍政権や日本会議にとって長年の悲願でした。自民党が2012年に出した憲法改憲草案は、基本的人権に対して「公の秩序」を優位に起き、立憲主義を否定するものです。賛否両論ありますが、国の根幹を大きく変えるものだ、という見解では、ほとんど全員一致すると思います。

でも、ちょっと待ってください。アベノミクスはそんなに簡単に扱っていいものなのでしょうか?そもそも「アベノミクス」とは何なのでしょう。それは、どのような経済を目指す経済政策なのでしょうか?正規と非正規の格差拡大?一部の富裕層への富の集中?否、それらはアベノミクスの結果の一側面ですが、アベノミクスの本質をついてはいない、と私は考えています。

みなさんご存じでしょうか?「アベノミクス」の本丸とも言うべき重要な法案が、いま現在国会で審議されており、参院選後すぐにでも可決されようしているということを。昨年提出された労働基準法改正法案、いわゆる「残業代ゼロ法案」と呼ばれるものです。

その法案が施行されると、企業は残業代を一切払わなくても、過労死基準を遙かに超える超長時間労働を労働者に強いても、すべて法律によって正当化されます。その結果を考えると、「残業代ゼロ法案」というのは生ぬるく、実態を考えると「ブラック企業合法化法案」というべきものです。ブラック企業の合法化こそ「アベノミクス」の本丸なのです。

詳しくは後で説明しますが、この法律が施行されると、ホワイト企業は駆逐され、日本経済全体がほぼブラック化します。あなたも私も、たとえば手取り25万円で1日14時間働くか、それとも時給1000円の非正規雇用で一日8時間働くか、どちらかを選ばなければならなくなります。

「戦後民主主義のせいで日本人が自己中心的になり、日本が衰退した」―日本の財界と、安倍晋三周辺の人間たちは、どうやら本気でそのように信じているようです。だから、日本経済を復活させるために、労働者を「死ぬまで働かせ」ようとしている。

しかしブラック企業合法化法案は、その意図はどうであれ、考えられる限りで最悪の一手です。それは単に私たち労働者を苦しめるだけではありません。それは日本経済を再生させるどころか、ほとんど再起不能なまで痛めつける結果になるでしょう。
今回の選挙で、自民党を通せば、私たちの労働環境と家計がどういう状況になるのか、このブログ記事では簡潔に説明しようと思います。

2015年9月22日火曜日

安保法案は可決していない その1

2015年9月19日未明の参議院本会議の採決を受けて、安保法案は可決された、とマスコミ各社は報道しています。

しかし、私たちは諦める必要も、絶望する必要もありません。

なぜなら、安保法案はいまだ可決されていないからです。

民主主義を取り戻す闘いを行うにあたって、私たちはまず、その厳然たる事実を確認するところからはじめたいと思います。

本ブログ記事の要点を挙げます。

  • 安保法案は憲法第9条に違反である。そして、憲法に反する法令や採決は、そもそも憲法第98条によって効力を有しない。
  • 参議院特別委員会で、採決が行われたという事実は存在しない。
  • 参議院特別委員会で委員長に「採決」もどきを強制し、野党の採決権を一方的に剥奪した自民党議員らは、公務員職権濫用罪の構成要件を満たしている可能性が高い。すなわち、特別委員会の採決は、単に無効であるだけでなく、違法である。
  • 違憲かつ無効な法案を、違法な手段で「可決」したと宣言したことは、政権与党によるクーデターであった。
  • 「安保関連法案の採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れ」への賛同のお願い

2013年11月26日火曜日

東京電力原発事故、その恐るべき健康被害の全貌 ―Googleトレンドは嘘をつかない― ②データ編

 

理論編のおさらい

東京電力原発事故で、あらゆる健康被害が爆発的に増加しつつある。このデータを本稿でお見せいたしますが、その前に「理論編」のおさらいをしておきます。

●東京の放射能汚染は、「放射線管理区域」相当の汚染状況である。

●広島・長崎やチェルノブイリなどの過去の例からいって、被曝による健康被害の典型は癌ではなく、倦怠感・心不全・膀胱炎・ホルモン異常・免疫低下など、全身の多様な慢性疾患であること。

●「科学的にいって放射能は安全である」という議論の元となっているICRPは、論理によってデータを排除し、残ったデータで理論を強化する「神話」の「循環構造」を構成している事。

●東京電力原発事故の主たる放射性降下物は、セシウムを含む不溶性合金の放射性物質微粒子(ホットパーティクル)であることが実証されたこと。

●人工放射性物質と自然放射性物質の唯一の違いは、ホットパーティクルを構成しうるか否かであること。

●ホットパーティクルとよばれる人工放射性物質の微粒子のリスクを、ICRPの体系が過小評価していること。

●バイスタンダー効果など最新の生物学の知見によって、ホットパーティクル(放射性物質微粒子)の危険性が明らかになりつつあること。

上のことで、これからお見せするデータが、充分な理論的バックグラウンドでもって、予測・理解可能なことを示したつもりです。「科学的にいってこれは放射能のせいではありえない」という批判をしたい方は、ぜひ「理論編」を読んだ上で、批判を試みてください。

 

なお、本稿のデータ・本文は、引用・転載自由です。全文転載は、非商用に限り認めます。このデータと手法が、私の手を離れてできる限り拡散することを望んでおります。

2013年10月28日月曜日

東京電力原発事故、その恐るべき健康被害の全貌―Googleトレンドは嘘をつかない― ①理論編

 

本稿のまとめ

2011年3月11日の東京電力原発事故によって、東京にも放射性物質が降りそそぎました。、それが原因となって、あらゆる被曝症状が急増しつつある。その健康被害の実態を、理論によって裏付けながら、膨大なデータをもって実証すること、それが本稿の目的です。

まずはデータを御覧下さい。これは、Googleの検索キーワードのトレンドを表示する、Googleトレンドというサービスのデータです。膀胱炎・口内炎・動悸・生理不順、これらはすべて被曝症状の典型ですが、どれも2011年3月を明確に分岐点として、急増しています。このデータは、これら自覚症状を抱えている人の数と、非常に高い相関関係を持っていると考えられます。

image

私は、データ編で、膨大な量のグラフをもって、どれも2011年3月を境にして、関東を中心にあらゆる健康被害が急増している事、そしてそれらがストレスや「放射線恐怖症」のせいではありえないこと、そして原因は原発事故による放射性物質であることを示したいと思います。

しかし、これらデータを目の前にして、「科学的にそんなことはありえない」という反論がくることが、容易に想像されます。いま、被曝の危険性を唱える人間は、―むかし原発が危険であるといった人間がそうであったように―「放射脳」などとレッテルを貼られ、危険人物扱いされ、排除されています。「原発安全神話」が崩壊したいま、「放射能安全神話」という防護壁が、最後の砦となって立ちはだかっているのです。

データが事実として受け入れられるためには、「科学的にいって、放射能は安全である」という議論に、あらゆる角度から反論していく事。「科学的にいってありえない」という言説の神話性を露呈させる事。そして、放射性物質によって、これらの健康被害が科学的にじゅうぶん起こりうるということを理論的に示す事。それだけの論理的・理論的な裏付けがなければ、データの存在は―あるいは膨大な数の被害者は―端的に存在しなかったことにされてしまうでしょう。そう、チェルノブイリのように。

「科学的にありえない」という反論を、徹底して封じ込めるのが、「理論編」の目的です。以下、次のような論理構成を取ります。

●東京の放射能汚染は、「放射線管理区域」相当の汚染状況である。

●広島・長崎やチェルノブイリなどの過去の例からいって、被曝による健康被害の典型は癌ではなく、倦怠感・心不全・膀胱炎・ホルモン異常・免疫低下など、全身の多様な慢性疾患であること。

●「科学的にいって放射能は安全である」という議論の元となっているICRPは、論理によってデータを排除し、残ったデータで理論を強化する「神話」の「循環構造」を構成している事。

●東京電力原発事故の主たる放射性降下物は、セシウムを含む不溶性合金の放射性物質微粒子(ホットパーティクル)であることが実証されたこと。

●人工放射性物質と自然放射性物質の唯一の違いは、ホットパーティクルを構成しうるか否かであること。

●ホットパーティクルとよばれる人工放射性物質の微粒子のリスクを、ICRPの体系が過小評価していること。

●バイスタンダー効果など最新の生物学の知見によって、ホットパーティクル(放射性物質微粒子)の危険性が明らかになりつつあること。

これらの理論構成によって、むしろ東京での健康被害が「ありえない」というのが神話であって、科学的に必然であることを示します。その理論を実証するのが、データ編です。

理論に興味がなく、ただ事実を知りたい方は、そのままデータ編に進んでいただいても問題ありません。ですが、被曝問題に興味がある方、私たちの身体に何が起きているのかより深く知りたい方、あるいはこのデータに反論・否定したい方は、まずは理論編に目を通していただければと存じます。私は、このデータと論理によって、「放射能が安全である」という言説―すなわちICRP―の「神話性」とその破綻をしめすことができただろう、と考えています。ですが、その判断は、読者一人一人にゆだねます。

なお、本稿のデータ・本文は、引用・転載自由です。全文転載は、非商用に限り認めます。このデータと手法が、私の手を離れてできる限り拡散することを望んでおります。

2012年10月9日火曜日

人生における選択の方法論 その1

人生の選択、その一般的な方法論

ありふれた言い方ですが、人生とは選択の連続です。どの就職先に就職すべきか、交際を申し込まれたけどどうしようか、学校はどこにするのか。そんないわば人生の岐路だけではなく、日常生活とは小さな小さな選択の集合です。あなたも毎日、色々悩んでいることだと思います。どの店でお昼ご飯を食べるか、喉が渇いたけど自販機でジュースを買おうかしら、気に入ったコートを見つけたけど高いな、上司に飲みに誘われたけどほんとは帰ってサッカー見たいな、運動したいけどめんどくさいなどうしようか―などなど。そうやってちょっと悩んだり、とりあえず流されてみたり、そして後悔したり。

悩むのも重要なことだし、悩んだり考えたりすることを楽しめるということは、大切な能力です。ただし、同じ悩むにしても、思いあぐねて時間だけがひたすら過ぎていくのか、それとも筋道を立てて思考して決定ができるのかは、大きな違いだと思いませんか?結局のところ、もう一方の選択肢をたどりようがない以上、どんな選択をするにしても、その判断が正しかったのかはわかりません。ですが、ぐじぐじ考えて、決定したあとも後悔するというのは、時間と感情の無駄なのは確かです。

私は、ここで「選択のための一つの方法論」を提案してみたいと思います。これは、人生に関する事実から積み重ねた、誰もが体感できる、ごくごく当たり前のことです。そして、みんな自覚していなくても、多かれ少なかれ人はある程度実践しているものなのでしょう。そういう意味で、決して目新しさはないです。だけど、人が本当に迷ってるときは、その基本的なことが見失われてしまう、そういうものだと思います。迷い込んだ時は、まず基本に立ち返ることで、思考が整理されていきます。それを一緒に確認していきましょう。

ライフコンサルティングの原則

私が提案する方法論が役に立つのは、自分にとってというよりは、むしろ人生の選択について、誰かに相談を受けたときかもしれません。人は、知らず知らずのうちに、自分の価値観を相手に押しつけたり、相手の状況を知ろうとせずに、本人にとっては無理がある選択をさせようとしたりしてしまいます。

たとえば、なかなか就職しようとしない子供に対して、「なんで働かないの」と怒る親のことを考えてみてください。でも、働かないには、その人なりの理由があるんです。もしかしたら、本人に自覚がなくても、何らかの潜在的な病気を抱えていて、体調的に無理があるのかもしれません。あるいは、最近の若年層の労働環境の悪化を踏まえて、「そんなところで奴隷になるのは嫌だ」と思ってるのかもしれません。そういう身体的・環境的な状況を無視して、無理に働かせると、最終的には身体も精神も壊れてしまう可能性が高くなります。その闘病生活は、最終的に、より高くつくことになるでしょう。そんな悲劇が、この国には、おそらく数十万件以上、おそらくは数百万件起っています。

誰かにとって有意義なアドバイスをしようとするなら、「相手が生きている」という事実を踏まえる必要があります。その事実の中には、「相手が少しずつしか変わっていかない」ということと、「最終的に判断するのは相手である」ということが含まれています。謙虚な気持ちで、相手を知り、その意志に寄り添っていくことが、実践的にはもっとも大切なことです。そのために、これから提示する方法論は役に立つでしょう。

戦略的生活方法論の概略

人生選択の方法論を具体的に説明する前に、概略を出しておきます。

  1. 死を見つめることで、自分にとっての「人生の意味」(理念)を明らかにする。
  2. 理念を具体的な目標に落とし込む。
  3. 現在の自分の状況を、生において不可欠な7つのパラメータに分け、点数化する。
    パラメータ=身体的健康、精神的健康、生活環境、経済、人間関係、知性、時間
  4. 各パラメータの相関関係を分析し、ボトルネックになっている箇所を見極める。
  5. 2の具体的な目標を実現するために必要な各パラメータを、できるかぎり明確にする。点数と、さらに具体的な内容まで明示する。
  6. 各選択肢について、それが各パラメータをそれぞれ変えるのか、さらに次のステップでそのパラメータが他のパラメータにどういう影響を与えるのか、想像する。それが、2に繋がる道ならその選択肢は適切であると判断できる。

「人生の意味」について

いきなり本題に入りますが、「人生の意味」とはなんでしょうか?お金を蓄えること、地位を確立すること、家族の愛情にくるまれて生活すること・・・何が人生の意味なのかは、結局のところ人それぞれ異なるでしょう。もう一度言いますが、大切なことは、自分の一番大切な価値観と、他の人の価値観が違うということを、自覚することです。自分の人生はそれぞれにとって唯一絶対のものなので、どの価値観が一般的により優れているかを考えることには、まったく意味がありません。自分の価値観を尊重しようとしない人のアドバイスを無理に聞くことはないし、相手の価値観を尊重しないで、求められてもいないのにアドバイスをすれば、その人の信頼を決定的に失うことになります。

でも、多くの人間は普段生活に追われていて、何が一番大切なのか、それを自覚する機会はあまりないものでしょう。では、自分にとって「人生の意味」とは何か、どうすれば自覚できるでしょうか。それは、おそらく「死を先取する」ことによってです。

ありがちなストーリーですが、ある青年が画家に本当になりたくて美大を目指していたのに、将来を心配した親に無理に諦めさせられ、家業の開業医を継がされたとします。確かに、親は満足し、お金持ちになって安定した人生を歩みます。でも、最後の最後、死ぬ瞬間になって、彼はたった一回きりのその人生を、自分の思い通りに生きられなくて、満足できるのでしょうか?もし満足できるんだったら、その選択は、結果として正解だったと言えるでしょう。逆に、どんなに地位や金銭に恵まれていても、なにも創り出さない生を空虚だと感じて死ぬなら、その人の人生は全体として、やはり失敗だったのだと言えるかもしれません。

結局、人生に意味があるかどうかは、その人が死ぬときに後悔しなかったかどうか、その一点に集約されます。あなたは、いつか必ず死にます。例外はありません。その逃れようのない事実を直視したとき、「こういう生を全うして死ねたら本望だな」と心の底から思えるもの、それが、あなたにとっての「人生の意味」なのです。

人が「自分の人生の意味」と思うものは、まったく人それぞれでしょう。でも、大きく類別すると、三つに分けられるはずです。

  1. 内在的意味
    人生とは生まれてから死ぬまでのすべての経験の集合体ですが、その経験の内容に意味を求めることです。たとえば、経済的に充実している、美味しいものを沢山食べる、多くの信頼できる友人に恵まれる。などなど。
  2. 外在的意味
    外在的意味とは、人生に対する他人からの評価のことです。どのような地位を築くこと、一大財産を築いて大富豪として名声を博すこと、大学教授になること、ノーベル賞を取ること、などなど。
  3. 超越的意味
    自分の死を超えて、他者や社会に対して、どのように貢献できるか。たとえば、第三世界の飢餓をなくしたい、愛する人を幸せにしたい、共産主義革命を起こしたい、などなど。

人の願いは一つではないですし、たぶん、その三つの要素が混じってるのが普通です。そして、いろんな思いが沢山沸いてくると思います。でも、死の瞬間を思い浮かべて、自分にとって何が満たされた生なのか、それを想像してみてください。それを習慣化しておくと、いつかきっと「自分にとって一番大切なことは何か」が見つかると思います。それは、おそらく強烈なパッションのようなもので、それがあなたの生の一番根底にある感情です。企業で言えば、それは「理念」に相当します。そのとき、あなたは本当の、誰も知らなかった自分に出会い、他人には歩むことができない、自分だけの人生を歩み始めるのです。

でも、生きる意味なんてそんな簡単に見つからない?そうでしょうね。確かに、それを見つけること自体、とても大変な作業で、それができれば人生の3分の1はすでに成功したようなものですから。では、混迷の中に迷い込み、自分の生の根本を織りなす「意味」がどうしても見あたらないとき、どうすればよいのでしょうか?これから私が提示する方法論は全く役に立たないのでしょうか?いえいえ、そんなことはありません。その場合のことも、また後ほどご説明します。

理念を具体的目標へ落とし込む

さて、あなたにとって人生の意味が明確になったとしましょう。でも、それはあくまで一つの情熱や感情であって、具体的に到達すべき目標ではありません。そこで、その感情を思い、具体的にイメージしてみましょう。できれば、紙やノートに、文字や絵などで具体的に書いてみると良いかもしれません。そうすることで、それまで漠然としていたイメージが、一つのヴィジョンとして血肉になります。人生に一つの芯が通り始める瞬間です。

ところで、どうやって具体的な目標を思いえがけばよいのか、それはもう、人それぞれです。内在的意味だと、比較的わかりやすいでしょう。たとえば、豊かな生活を送りたいということが理念なら、「豊かになって何がしたいのか」を想像すれば済みます。たとえば、ブレゲの時計を身につけたい、バーがある家に住みたい、年に数回は世界中を回って美味しいものを食べ歩きたい、など次々とイメージがふくらんでくるでしょう。もし膨らんでこなければ、自分が興味がありそうな分野の情報に接していけば、欲しいものが見つかるでしょう。

外在的意味に関しては、他人の評価に関してはどうしようもない部分もあります。自分に対する他人の評価を、自分がコントロールすることはできませんから。ならば、その目標を達成するために、自分ができる事、自分にはどうしようもないこと、それを明らかにしましょう。どんなに素晴らしい小説を書いても、ノーベル文学賞を取れるかどうかは、審査員次第です。ならば、ノーベル賞を取ってもおかしくないぐらいの水準の小説を書くこと、そこに集中する必要があります。

超越的意味、これが実は一番困難であり、それだけに知恵の絞りどころです。誰か具体的な人を幸せにしたい、というなら、まだ割となすべきことは見えやすいかもしれません。ですが、大志を抱いた人は、ここで大きな壁にぶつかることになります。第三世界の女性差別をなくしたい、そう心から願う人は、具体的に何をすれば良いのでしょうか。資産がたくさんあって、それを寄付をする、それで十分だと思えるなら、それでも良いかもしれません。ですが、より大きく何かを変えようと願うならば、「現実の壁」にぶち当たることになるでしょう。

もちろん、私は「現実の壁」があるから、人生における超越的意味など捨ててしまう方が良い、とお説教したいわけではありません。ただ、その壁を乗り越えるための具体的で現実的な戦略を思い描くためには、それだけの知性が必要になる。それだけです。さらに、それを現実的に実現するためには、エネルギーとリソースが必要になるでしょう。そこも含めて、どれぐらいあらかじめ算定できるのか、その能力が求められるわけです。

以上、一番基本になるお話しを整理してみました。当たり前すぎて、平凡だったかもしれませんし、やや精神論に偏った印象を受けたかもしれません。次回、生の7つの次元とその相関関係についてご説明する予定です。

2012年2月15日水曜日

政治と聴くこと

 

先日ある会合で、政治家は自分の主張をするスタイルが良いのか、それとも有権者の声を聞くスタイルが良いのか、という話しが出たので、それについて僕の考えを述べる機会がありました。今回のブログでは、そのときに話したことを少し補って書いてみたいと思います。

政治家を志望する人は圧倒的に少ないので、あまり役に立たない話しだと思われるかもしれません。たぶん、これは単に政治家とはどういうことか、という話しだけではなくて、コンサルティングやカウンセリングにも当てはまるところがあるのではないかと思います。

電話サポートのお仕事

僕は、現在のところコンピュータのユーザーサポートの仕事をしていますが、その前は、某大手家電量販店の顧客向けに、コンピュータの電話サポートの仕事をしていました。電話サポートという仕事は、ほんとうに大変で、技術力と柔軟な応用力はもちろん必須なのですが、それ以上にコミュニケーションスキルを駆使したお客様の感情的ケアが、その仕事の大部分だと言っても過言ではなかったように思います。

さて、この仕事を始めるときに、よく会社から言われたことが、「お客様が言うことを真に受けるな」ということでした。この言い方には語弊がありますが、真実の一片を突いていることは確かです。というのは、お客様が間違ったことを言っているとこっちが思うと、オペレーターがお客様にたいして反論する態度になってしまう。それだと、お客様を怒らせてしまう。オペレーターは裁判官ではありません。お客様がいうことそのものを、まず全面的に受け入れる必要があります。